シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

怒りの苦さ

怒り

どうしても怒りをとめられない事も、時にはある。
怒っている姿が想像つかない…と言われる事もある僕でも。
僕にとっての、怒りのツボ…があるとすれば、
仕事における公私混同とでもいうべきか…
それは自分が一番気をつけている事だからこそというのはある。
やはり、自分が最も気を使っていたりする事は、
最も褒める要素になると同時に、最もきちんとしてないことに憤る要素でもある。
この文章を書いてたら、少し怒りがおさまってきた。

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

春と修羅のこの文章が、頭をぐるぐる

もう一つ怒りがこみあげてくることは、
嘘をつかれること。
起こってしまったことは、起こってしまったこととして、
素直に反省すべきだと思う。
時には言い訳したいことはあると思う。
そんなときも、程度というものがあって、
相手に、明らかに矛盾があっておかしいと悟らせるほど、
嘘をついてはいけない。
これは、自分でも、しっかり意識しないと……

チャンス

チャンス

目の前に現れたチャンスを掴みとること
目の前に現れた瞬間に、表明すること
難しいことではないこと
最近、それが僕にもできるようになったことに気づき
素直に、すごいな…と思った
自分のダメなところはよく見えるけど
強い好奇心と、チャンスを掴もうとする姿勢と
自分を認められるところが増えて、少しうれしい
でもまだまだ…掴みとれ!

Across the universe

ビートルズのAcross the universeこの曲
ビートルズは、そんなに詳しくない…
初めて買ったアルバムはアビーロード、次はホワイトアルバム
その中には含まれてないし、この曲が入ったCDを購入したことはない
しかし、好き…というか、最も気になって頭から離れない曲
Nothing's gonna change my world
と繰り返される歌詞の意味
そして、Across The Universe というタイトルは
さらっと、流されるが、僕が最も惹かれるのはこのタイトル
そして、歌い出し
新訳聖書のヨハネによる福音書の出だしのようである
ヨハネによる福音書では、はじめに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった
宇宙をタイトルに冠するこの曲の歌い出しは、
Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
They slither while they pass, they slip away across the universe
全く的外れかもしれないが、僕は、ここにモンティパイソン的なセンスを感じる

トリックフィッシュ

ごめんなさい!
はじめに謝っておく
実際は謝らないけど
チャンスを生かす事はできないかもしれないけど、
チャンスには食いつきます
パクッとね
僕は恵まれた人間関係にあり
たくさん気にかけてくれている人がいて、
ありがたいと思う
だから、ごめんなさい!
でも、チャンスには食いつきます

矮小化

ちょっとした言葉のチョイスによって、
崇高な目的は、一瞬でプライベートな
矮小なものへと変わり果てる
本当に一瞬の出来事
逆も然り

猫が嫌いだ
猫の事が気になる…の方が、表現的に近いかもしれない。
猫というのは、魔性の生き物だと思う。
昔から、怖かった。畏怖、畏れといってもいい。
魔力があるというか、とにかく怖かった。

宮沢賢治は、僕は猫が大嫌いです。と詩の中で書いている。
でも、猫の事務所や、どんぐりと山猫など、猫を題材としたお話が多く。
その中の猫は魅力的で、逆に、犬はあまり魅力的に描かれていない。

カウボーイビバップという古いアニメがある。
偶然、大学の頃、衛星放送が入る事があって、
そのときに見た、最終回の主人公の話すお話がすごくかっこよくて好きだ。
それは、100万回生きたねこという絵本の話。
こんな話がある…と話し出した。
話終わった後、相棒が、「いい話だ」と答えると、
それに対して、主人公が、「俺はこの話が嫌いだ」と答え、
その後、「俺は猫が嫌いだ」と続ける。
そのシーンがすごくかっこよくて、「100万回生きたねこ」を購入し、
社会人になって、給料で、カウボーイビバップのDVDセットを買った。

劇団四季ミュージカルのキャッツを何度か見に行った。
今はなき五反田劇場で初めて見た。
当時東京で働いて居た頃の上司が連れて行ってくれ、すごくいい席だった。
円形の真ん中にメインステージがある作りで、
メインステージの周りは、ステージと供に、外側のステージをそのままにして、
回転するという、不思議な構造になっていた。
初めて見るときは、前もってなんの知識も持っていないせいで、
怖かった。
はじまったとたん、暗闇から、猫が出てきて、目が光っている。
僕は、注文の多い料理店で、山猫に食われそうになる、猟師の気持ちだった。
猫が怖い!

ますむらひろしアタゴオルという漫画を、中学生の頃、本屋さんで見つけて読んだ。
猫が立って歩いている世界の不思議な物語。
初期の方が絵が怖く、内容も少し怖い。
怖さが不思議な感じの怖さで、夢の世界の淡々とした残酷さというか…。
とにかく何故か気になった。
後で知った事だけれど、
このますむらひろしという漫画家は、登場人物を猫に置き換えて、宮沢賢治の物語を、
漫画にしていた。

大学生の時に、宗教学という授業が面白かった。
先生は、鎌田東二という人で、神主さんであり、本を書いており、ミュージシャンでもあった。
音楽では、神道ソングライターと名乗っていた。
初めの授業が、となりのトトロと、千と千尋の神隠しを宗教的に比較するというものだった。
毎回映像を見ながらの授業で、どんどん惹かれて行った。
先生は、僕が大好きな宮沢賢治についても研究していて、
イーハトーブ幻想 ~ KENJIの春」という、映像を見せてくれた。
その映像が、宮沢賢治のことを一番よく表現できている。と先生は言った。
映像を見て、びっくりした。
宮沢賢治、他全ての登場人物を、猫として描いていてた。
僕は驚いたけれども、初めに流れる音楽と供に、
監修というところに天澤退二郎さんと供に、ますむらひろしという名前があって、納得した。

猫が嫌いだ、
猫が好きだ。
猫が気になる。
遠くから観察する。

卑屈になると

卑屈になり、悩み、すべてに意味があると考え、
起こった出来事をマイナス方向に分析する。
なぜか、自動ドアがすぐに開かないという出来事が続くとき、
自分は自動ドアも開いてくれないような人間なんだと思う事があった。
今思えば、なんだそれ?なんだけど。
いろんなことがたまって、卑屈にならないように。
自分には、プラスへ向かう好奇心という素晴らしい属性と、
物事を考えすぎて一周回ってしまう閉じる属性があって、
くるくる考えが回るようなら、突き抜ける好奇心の属性で…
突き抜けろ!
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過去、現在、未来

過去なんてどうでもいいと思った。
でも、そう言ってる俺は、誰よりも過去に縛られてるんだ。
いまだけに集中するんだ!
変えれるのは、今だけさ!
未来が、よくなることだけを想像するんだ。

時間の流れ

時間がどう流れていくのかは、思想だ。
真っ直ぐ均等に流れる時間
円環のように、毎年帰ってくる時間
起こる物事によって、流れる速さが変わる時間
概念としての4次元目の時間…この時間はプランク定数と言って、最小単位が決まっている。
そのプランク定数という長さで出来た小さなつぶつぶで出来ている時間ですが
つぶつぶと言ったときに想像するつぶつぶと
この量子力学的なつぶつぶとはつぶの質が違うらしい

詩を読むとき

詩を読むとき、
一つの言葉に圧縮された意味を、解凍する。
それは、まるで、パソコン上で圧縮されたファイルを解凍するように。
しかし、その圧縮されたファイルを読み込むためのソフトウェアが自分の脳で、
圧縮する形式が、作者の脳で、
パソコンではある共通認識に基づく記述方法が、
詩にはほとんどないので、
齟齬や、誤認識、拡大解釈、が出てしまう事と、
それを狙って、誤認識するような言語を忍び込ませていることが、
誌の面白さに他ならないのではないか…

絵本を読むとき

絵は、余りにも情報が多く、
誤認識も圧倒的…
絵の意味と言葉の意味が一対一対応以上の場合、
容量オーバーで理解できません。
また、一対一対応でも、拡大解釈により、
誤認識する可能性あり。

思想の押し付け

平安時代には、生き霊や幽霊、式神などは、本当にいて、
それが見えたとしても、当時の人々は、さほど違和感なく、
そのことを受け入れることができた。
実際、当時の人の目の前にそういったものが現れていたのだ…
と、高校の教師は、僕を含めた教室のみんなに説明した。

そのことを教えられて、僕は、その時代に魅了され、
その不思議な世界観に想いを馳せた。

それをそれとして理解することの大切さ…
テレビ番組をたまに見たときに、よく思う。
それが、魔術なのか催眠術及びメンタリズムなのか、
超能力なのか科学なのか、
科学でどう説明するかは大事だけれども、
その解釈を科学で行うのが絶対だ!他の考え方は受け付けない!というのは、
科学という学問というよりも、科学という思想の押し付けでしかない。

もちろん、幽霊がいないことは分かっているのだけれど、
幽霊がいると信じている人を、科学的にいないと説得することに意味はないと思う。
それは、幽霊がいるという世界観の否定であり、
そうすることで、自分の世界観を否定された<幽霊がいると信じている人>は、余計に意地になる。
否定は簡単だが、色々な物事は、色々な考え方で説明できる。
だから、居るか居ないかの戦いという構図を作ってしまうのではなく、
科学なら、科学での解釈をうまく伝えていく必要があるし、
幽霊を信じる人が、科学の解釈に歩み寄ってもらうためには、
相手の思想まで全否定してしまってはいけないと思う。
それをする事は、脳科学が心理学を全否定してしまうようなものだと思う。

偏った考え方が蔓延すると、
その後、もう一方の偏った考え方が蔓延する。
科学ブームの後に、スピリチュアルブームがやってくるように。
その2つのテレビの取り上げ方、どちらもすべてをこの考え方で説明できる、と言っていて違和感がある。

なぜ、どんな写真を見ても、幽霊の仕業にするのか?
宇宙人の仕業にするのか?
そして、否定をするために科学を使う。全否定のみ。
悪魔の証明さえも即答する科学者。
ショーとして、面白いことしか考えていない。
面白いかもしれないけど、どちらも信用できないよね。

うつと祭りについて

祭りはうつをつくり出さないための環境装置であった。
僕の大学生の時の妄想ですが…
大きな音や、リズム、炎の光、
そしてパーソナル空間へ無理やり踏み込む言い訳として、
祭りは有効に機能する。
それは神様をたたえるための宗教的機能だけではなく。
古代の人々は、うつにならないために、
セロトニンをどうやって出したらいいか、
科学的に有効である方法を経験的に知っていたのではないか?
祭りを構成する要素は、祭りが無くても、現代の科学的技術などによって追体験できる。
しかし、否が応でも、無理やり始まっていしまう祭りは、
いつでもできる追体験よりも有効に機能することは、
明日出来ることは明日にしようと思ってしまう僕には、
容易に想像できる。

文房具とバターコーヒーについて

文房具について

文房具が大好きで、結構色々と購入した。
仕事中も、家に帰っても、手に持つことが多いので、
いいものが欲しい!と、色々と購入して試して、
お気に入りになったり、使わなくなったり。
さすがに高価なものは、捨てられないので、
常に使わないものは、親にあげたり、飾っていたり。
今周りにあって1万円以上の文房具を数えてみたら、
もらったものも含めると、5つありました。
そのうち、筆箱に入っているものは2つ。
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写真は今、使っている文房具の中で、ベスト3!
左から、パーカーの万年筆、ステッドラーの芯ケース3本、ぺんてるマルチ8海外発売バージョン。
眺めているだけで、嬉しくなってしまうお気に入りの文房具です。
パーカーの万年筆は、真っ黒!なビジュアルで、ペン先まで真っ黒。
これでもペン先金なんです。せっかくの金が台無しな感じだけど、
あえて、黒くしてしまっているのが、男が好きな感じで、いい!
それと、僕は、万年筆は速く書けるので好きです。
ボールペンや、鉛筆、シャープペンシルと比較しても、僕は速く書けると思います。
速く考えていることを書かないと、いつも記憶や感覚が消えてしまう!
という恐れが強い僕には、速く書けることは最も大切なことです。
高級な万年筆は、キャップがねじ込み式になっているものが多いですが、
この万年筆はパチンとはめ込むものなので、すぐ書き始められます。
ステッドラーの芯ケースは、この芯ケースを知ってから、鉛筆はほとんど使わないです。
重心のバランスが書きやすく、綺麗に書ける気がします。
いろんなところに置いておきたくて、何本も買っています。
あと2本くらいあります。
マルチ8は、色鉛筆の芯ケースのようなもので、8色入れられます。
僕は、色鉛筆が好きで、たまに、変な絵を描いています。
また、重要なところに印をするのに使っています。
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現在使用しているペンケースです。
ペンケースについては、色々と使って、
現在使っているこのgrainのスタンドアップペンケースは、
万年筆等の、高価な文具がガチャガチャして傷がつかないことと、
ペン立てになるという2つを叶えてくれるので、使用しています。
好きな文具が近くにあると、テンション上がり、いつももっといいものないかな〜と探しています。

バターコーヒー

最近毎朝、バターコーヒーというものを飲んでいる。
最近流行っているみたいで、僕はイッテQを見て知りました。
朝ごはんをグラスフェッドバターという、草だけを食べて育った牛のミルクで作ったバターを、
コーヒーに攪拌させて飲みます。
今の所、なんか調子いい気がするという程度の効果ですが、
続けて効果を調べてみます。
バターコーヒーダイエットといって、ダイエットになるそうです。

ファッションについて

ファションは表出である。つまりアウトプット。
その人がどのような人か、性格、キャラクターを判断する時、
何を使って判断するだろうか?

やったこと、言ったこと、顔、服、
人は見た目が9割」って本が前に流行りましたが、
人は人を判断する時、見た目が一番影響しているらしい。
見た目とは、顔とか、髪型とか、色々あるけど、
ファッションも、見た目の中で、大きな割合を占めており、
毎日のように変えられて、大きく印象を変えられるファッションは、
すごく面白く、難しくもある。
そして、実際、ファッションを含めた“見た目”が、
自分を判断される時に、かなりの割合を占めていることは、
恐ろしいことだと思う。
僕は、元々人見知りで、あまりしゃべらない方であったからなおさら恐ろしさを感じる。
言語による表出があまりない、出会ってから初期の段階で、
見た目と、その少ない会話によって、
自分自身のイメージが相手に出来あがってしまうという事をイメージして欲しい。
もちろん、そのイメージを変えることは可能であるけれども、かなりの労力がかかりそうだ。

ファッションについて、気を使いはじめたのは、僕は大学に入ってからでした。
しかし、大学の時はお金がなかったので、実際は社会人になってから色々選んで買うようになった。
ブランド、色、シルエット、素材…
そして、服とズボンや、時計、靴などの組み合わせ…
服そのものとしてかっこいいものでも、それを身につけたら、印象が違ったり、
僕は青が色としては好きだけれど、服は赤の方が似合うなと思ったり、
Tシャツが楽だけど、Yシャツの方が似合ったり、
服屋の店員さんが勧めてくれた服が、派手すぎるだろ〜と思っても、
着てみたらいいなぁ〜と思ったり。
ファッションは面白い。

今日、コートと、ズボンと、Yシャツを購入した。
コートは、今年流行りらしい、カーキ色のコートを購入した。
個人的に流行色なんて糞食らえ!と思ったりするけど、
カーキ色のコートという変わった!?(僕にとって)色が、
実は、みてみると、いいな!と思ったので購入した。
普通は、カーキ色のコートなんて作らないかもしれないところを、
流行色ということで、どうにか、カッコよく、可愛く、
シルエットや、微妙な色合いなど、考えながら、素晴らしいコートに仕上げるという…
カーキ色という制限の中で、素晴らしいものを作ろうという努力が、
かっこいい!と思えるコートに結晶しているわけだから、そういう意味では、
流行色という考え方も捨てたものではないな〜
ちなみにズボンは焦げ茶色で、Yシャツは青っぽいペイズリー柄(少し派手かな…)、
最近、気づいたのが、お金を使った後の、満たされた感じ…
何よりも、ファッションに関してお金を使った時が、一番満たされる。