シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

新年

新年、明けましておめでとうございます!
すでに二月ですけど…。

海外

またちょっと、海外に行ってた。
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海外で年を越しました。
そして、もうすでに海外に行きたい!
次考えているのは、マレーシアかミャンマー
まだ一人で、初めての国に行ったことはないので、挑戦してみたい。
というより、少しずつ、新しい刺激が欲しくなってしまっている。
海外に行くことに、慣れて来て、
行ったことがある国に行ったり、新たな刺激が少ない国に行くことでは、
満足できなくなってしまった。

EDM

ダンスミュージックや、テクノと言われるようなジャンルは、
もっとも縁遠い音楽だと思っていた。
一緒に海外に行った人に、2度ほどクラブに連れて行ってもらった。
クラブなんて…という感じだったけれど、
テンションは上がる、テンション上がると楽しい!
クラブに行った時だけではなく、
楽しくドーパミンが出る感じを感じたい…と思って、
調べてみると、EDMという音楽ジャンルに行き着いた。
エレクトリックダンスミュージックの略。
エレクトリックなダンスのミュージックです(そのまま!)
個人的にはロックばっかり聴いていたけれども、
停滞しているように見えるロックシーンに比べ、EDMのシーンは盛り上がっていて、
楽しい!
ダンスミュージックといっても、コマーシャルであり、勢いがあり、もちろんドーパミンが出る!
という意味では、ヒットする音楽はどんなジャンルでも一緒です。
何よりも、新しいジャンルの音楽を聞いて、ワクワクできる自分に安心した。
ストレスマックスな毎日を、これで突き抜けられる。

ということで、あまり知らないながらも、有名どころで、

マーティン・ギャリックス

Martin Garrix & Bebe Rexha - In The Name Of Love (Official Video)

チェーンスモーカーズ

The Chainsmokers - Don't Let Me Down ft. Daya

アヴィーチ

Avicii - Waiting For Love

ディミトリー・ヴェガス&ライク・マイク

Dimitri Vegas & Like Mike - Live at Tomorrowland 2016 ( FULL Mainstage Set HD )


youtubeで調べると、公式が全てあるのがすごい、さすがエレクトリック…
最後の、映像は、見てるだけで、クラブに行った気分…
というか流石にここまでのクラブは見たことない(トゥモローランドだけど…)

ムジナ

メディア

コンテンツ、コンテナ、コンベア…
メディアはそのように分けることが出来ると前に聞いた。
もうすでに、それらは分離を始めているように思うが、
コンテンツを考えた時に、
情報を集める(対象に対する情報を統合する)、記事を書く(動画を編集する)
という事さえも、情報がよりフリーに近づく中で、分離されて検証されつつある。
情報を発信する側への批判は、過激なバッシングという形態をとりながら、
大きな流れとしては、
情報のフリー化(無料化)と、よりお金を払ってまで情報を購入する方向へと、
2分化していくことにつながっている気がする。
紙媒体であることのあたたかさや、カセットテープやCDなどの物体であることのモノとしての意味から、
単なる情報から、表現によって、お金を払うだけの価値があるコンテンツへと昇華する時代へと、
移り変わりつつある気がする。

陰謀論とか

ニュースを見ると不思議なことが沢山あり、
何が真実なのかよくわからない。
陰謀論はアメリカの十八番であって、
日本で沢山出てくるようなものではないでしょ!と思う。

ムジナ

最近クレイジージャーニーという番組が好きで見ている。
メキシコ麻薬戦争の回で、
カルテル(ギャング)と、自警団、警察が出てくる。
警察が身を守ってくれないから、
自警団を組織し、カルテルから身を守る。
しかし、同じ武器を持っている自警団とカルテルが、
番組を見ていると、だんだん似たものに思えてくる。
住民が、カルテルのことを教えてくださいと質問した時に、
「どっちのカルテル?」と聞き返す場面があった(自警団のこともカルテルと言っている)。
対立する二つの組織という図式はどの世界にもあり、
そしてそうであったときに、
二つの組織につながりがある事が一番利益を得ることにつながるとしたら…
そう考えると怖い。
村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドの中でも、
システムとファクトリーという二つの組織の対立が描かれていたが、
メタファーとして、システムとファクトリーが同じ人間の右手と左手のようなもので、
実はつながっていたら怖いよね~というような会話があった。

未来は

未来はディストピアでしかなく、
シンギュラリティー後の人類は、崩壊を待つしかない。
もしくは、宇宙人は敵でしかない。
そんなことない。
AIが人類を救うかもしれないし、攻殻機動隊S.A.Cでは、そうだったように…
未来は明るい!能天気ではなくて、
共産主義でなく、資本主義でもない、今の延長線上ではなく、
イノベーティブな未来…

僕たちはなんて無力なんだ…そんなことはない!

ドウデモイイ

漫画家の不倫とか、
どうでもいい情報が溢れている。
マジドウデモイイ
昔から、よく思う。
作者がどんな不祥事を起こそうが、
なんで作品が汚されたことになるんだ。

ミル

朝、コーヒーをつくる。
コーヒー豆を手回しのミルで挽くのだけれど、
本来は、挽いているときに熱が発生するので、
なるべくゆっくり挽く必要がある。
しかし、僕は、ゆっくり粉が出てくるのが待てない。
だから、勢いよく、それはそれは勢いよく挽いてしまう。
そのせいで、ここ数年で、2回もセラミックス製の刃が付いたミルを壊してしまった。
今も、壊れているので、インスタントのコーヒーしか飲めない。
もっと心に余裕を、落ち着けるコーヒーを持ちたい。

怒りの苦さ

怒り

どうしても怒りをとめられない事も、時にはある。
怒っている姿が想像つかない…と言われる事もある僕でも。
僕にとっての、怒りのツボ…があるとすれば、
仕事における公私混同とでもいうべきか…
それは自分が一番気をつけている事だからこそというのはある。
やはり、自分が最も気を使っていたりする事は、
最も褒める要素になると同時に、最もきちんとしてないことに憤る要素でもある。
この文章を書いてたら、少し怒りがおさまってきた。

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

春と修羅のこの文章が、頭をぐるぐる

もう一つ怒りがこみあげてくることは、
嘘をつかれること。
起こってしまったことは、起こってしまったこととして、
素直に反省すべきだと思う。
時には言い訳したいことはあると思う。
そんなときも、程度というものがあって、
相手に、明らかに矛盾があっておかしいと悟らせるほど、
嘘をついてはいけない。
これは、自分でも、しっかり意識しないと……

チャンス

チャンス

目の前に現れたチャンスを掴みとること
目の前に現れた瞬間に、表明すること
難しいことではないこと
最近、それが僕にもできるようになったことに気づき
素直に、すごいな…と思った
自分のダメなところはよく見えるけど
強い好奇心と、チャンスを掴もうとする姿勢と
自分を認められるところが増えて、少しうれしい
でもまだまだ…掴みとれ!

Across the universe

ビートルズのAcross the universeこの曲
ビートルズは、そんなに詳しくない…
初めて買ったアルバムはアビーロード、次はホワイトアルバム
その中には含まれてないし、この曲が入ったCDを購入したことはない
しかし、好き…というか、最も気になって頭から離れない曲
Nothing's gonna change my world
と繰り返される歌詞の意味
そして、Across The Universe というタイトルは
さらっと、流されるが、僕が最も惹かれるのはこのタイトル
そして、歌い出し
新訳聖書のヨハネによる福音書の出だしのようである
ヨハネによる福音書では、はじめに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった
宇宙をタイトルに冠するこの曲の歌い出しは、
Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
They slither while they pass, they slip away across the universe
全く的外れかもしれないが、僕は、ここにモンティパイソン的なセンスを感じる

トリックフィッシュ

ごめんなさい!
はじめに謝っておく
実際は謝らないけど
チャンスを生かす事はできないかもしれないけど、
チャンスには食いつきます
パクッとね
僕は恵まれた人間関係にあり
たくさん気にかけてくれている人がいて、
ありがたいと思う
だから、ごめんなさい!
でも、チャンスには食いつきます

矮小化

ちょっとした言葉のチョイスによって、
崇高な目的は、一瞬でプライベートな
矮小なものへと変わり果てる
本当に一瞬の出来事
逆も然り

猫と思考

猫が嫌いだ
猫の事が気になる…の方が、表現的に近いかもしれない。
猫というのは、魔性の生き物だと思う。
昔から、怖かった。畏怖、畏れといってもいい。
魔力があるというか、とにかく怖かった。

宮沢賢治は、僕は猫が大嫌いです。と詩の中で書いている。
でも、猫の事務所や、どんぐりと山猫など、猫を題材としたお話が多く。
その中の猫は魅力的で、逆に、犬はあまり魅力的に描かれていない。

カウボーイビバップという古いアニメがある。
偶然、大学の頃、衛星放送が入る事があって、
そのときに見た、最終回の主人公の話すお話がすごくかっこよくて好きだ。
それは、100万回生きたねこという絵本の話。
こんな話がある…と話し出した。
話終わった後、相棒が、「いい話だ」と答えると、
それに対して、主人公が、「俺はこの話が嫌いだ」と答え、
その後、「俺は猫が嫌いだ」と続ける。
そのシーンがすごくかっこよくて、「100万回生きたねこ」を購入し、
社会人になって、給料で、カウボーイビバップのDVDセットを買った。

劇団四季ミュージカルのキャッツを何度か見に行った。
今はなき五反田劇場で初めて見た。
当時東京で働いて居た頃の上司が連れて行ってくれ、すごくいい席だった。
円形の真ん中にメインステージがある作りで、
メインステージの周りは、ステージと供に、外側のステージをそのままにして、
回転するという、不思議な構造になっていた。
初めて見るときは、前もってなんの知識も持っていないせいで、
怖かった。
はじまったとたん、暗闇から、猫が出てきて、目が光っている。
僕は、注文の多い料理店で、山猫に食われそうになる、猟師の気持ちだった。
猫が怖い!

ますむらひろしアタゴオルという漫画を、中学生の頃、本屋さんで見つけて読んだ。
猫が立って歩いている世界の不思議な物語。
初期の方が絵が怖く、内容も少し怖い。
怖さが不思議な感じの怖さで、夢の世界の淡々とした残酷さというか…。
とにかく何故か気になった。
後で知った事だけれど、
このますむらひろしという漫画家は、登場人物を猫に置き換えて、宮沢賢治の物語を、
漫画にしていた。

大学生の時に、宗教学という授業が面白かった。
先生は、鎌田東二という人で、神主さんであり、本を書いており、ミュージシャンでもあった。
音楽では、神道ソングライターと名乗っていた。
初めの授業が、となりのトトロと、千と千尋の神隠しを宗教的に比較するというものだった。
毎回映像を見ながらの授業で、どんどん惹かれて行った。
先生は、僕が大好きな宮沢賢治についても研究していて、
イーハトーブ幻想 ~ KENJIの春」という、映像を見せてくれた。
その映像が、宮沢賢治のことを一番よく表現できている。と先生は言った。
映像を見て、びっくりした。
宮沢賢治、他全ての登場人物を、猫として描いていてた。
僕は驚いたけれども、初めに流れる音楽と供に、
監修というところに天澤退二郎さんと供に、ますむらひろしという名前があって、納得した。

猫が嫌いだ、
猫が好きだ。
猫が気になる。
遠くから観察する。

卑屈になると

卑屈になり、悩み、すべてに意味があると考え、
起こった出来事をマイナス方向に分析する。
なぜか、自動ドアがすぐに開かないという出来事が続くとき、
自分は自動ドアも開いてくれないような人間なんだと思う事があった。
今思えば、なんだそれ?なんだけど。
いろんなことがたまって、卑屈にならないように。
自分には、プラスへ向かう好奇心という素晴らしい属性と、
物事を考えすぎて一周回ってしまう閉じる属性があって、
くるくる考えが回るようなら、突き抜ける好奇心の属性で…
突き抜けろ!
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過去、現在、未来

過去なんてどうでもいいと思った。
でも、そう言ってる俺は、誰よりも過去に縛られてるんだ。
いまだけに集中するんだ!
変えれるのは、今だけさ!
未来が、よくなることだけを想像するんだ。

時間の流れ

時間がどう流れていくのかは、思想だ。
真っ直ぐ均等に流れる時間
円環のように、毎年帰ってくる時間
起こる物事によって、流れる速さが変わる時間
概念としての4次元目の時間…この時間はプランク定数と言って、最小単位が決まっている。
そのプランク定数という長さで出来た小さなつぶつぶで出来ている時間ですが
つぶつぶと言ったときに想像するつぶつぶと
この量子力学的なつぶつぶとはつぶの質が違うらしい

詩を読むとき

詩を読むとき、
一つの言葉に圧縮された意味を、解凍する。
それは、まるで、パソコン上で圧縮されたファイルを解凍するように。
しかし、その圧縮されたファイルを読み込むためのソフトウェアが自分の脳で、
圧縮する形式が、作者の脳で、
パソコンではある共通認識に基づく記述方法が、
詩にはほとんどないので、
齟齬や、誤認識、拡大解釈、が出てしまう事と、
それを狙って、誤認識するような言語を忍び込ませていることが、
誌の面白さに他ならないのではないか…

絵本を読むとき

絵は、余りにも情報が多く、
誤認識も圧倒的…
絵の意味と言葉の意味が一対一対応以上の場合、
容量オーバーで理解できません。
また、一対一対応でも、拡大解釈により、
誤認識する可能性あり。

思想の押し付け

平安時代には、生き霊や幽霊、式神などは、本当にいて、
それが見えたとしても、当時の人々は、さほど違和感なく、
そのことを受け入れることができた。
実際、当時の人の目の前にそういったものが現れていたのだ…
と、高校の教師は、僕を含めた教室のみんなに説明した。

そのことを教えられて、僕は、その時代に魅了され、
その不思議な世界観に想いを馳せた。

それをそれとして理解することの大切さ…
テレビ番組をたまに見たときに、よく思う。
それが、魔術なのか催眠術及びメンタリズムなのか、
超能力なのか科学なのか、
科学でどう説明するかは大事だけれども、
その解釈を科学で行うのが絶対だ!他の考え方は受け付けない!というのは、
科学という学問というよりも、科学という思想の押し付けでしかない。

もちろん、幽霊がいないことは分かっているのだけれど、
幽霊がいると信じている人を、科学的にいないと説得することに意味はないと思う。
それは、幽霊がいるという世界観の否定であり、
そうすることで、自分の世界観を否定された<幽霊がいると信じている人>は、余計に意地になる。
否定は簡単だが、色々な物事は、色々な考え方で説明できる。
だから、居るか居ないかの戦いという構図を作ってしまうのではなく、
科学なら、科学での解釈をうまく伝えていく必要があるし、
幽霊を信じる人が、科学の解釈に歩み寄ってもらうためには、
相手の思想まで全否定してしまってはいけないと思う。
それをする事は、脳科学が心理学を全否定してしまうようなものだと思う。

偏った考え方が蔓延すると、
その後、もう一方の偏った考え方が蔓延する。
科学ブームの後に、スピリチュアルブームがやってくるように。
その2つのテレビの取り上げ方、どちらもすべてをこの考え方で説明できる、と言っていて違和感がある。

なぜ、どんな写真を見ても、幽霊の仕業にするのか?
宇宙人の仕業にするのか?
そして、否定をするために科学を使う。全否定のみ。
悪魔の証明さえも即答する科学者。
ショーとして、面白いことしか考えていない。
面白いかもしれないけど、どちらも信用できないよね。

うつと祭りについて

祭りはうつをつくり出さないための環境装置であった。
僕の大学生の時の妄想ですが…
大きな音や、リズム、炎の光、
そしてパーソナル空間へ無理やり踏み込む言い訳として、
祭りは有効に機能する。
それは神様をたたえるための宗教的機能だけではなく。
古代の人々は、うつにならないために、
セロトニンをどうやって出したらいいか、
科学的に有効である方法を経験的に知っていたのではないか?
祭りを構成する要素は、祭りが無くても、現代の科学的技術などによって追体験できる。
しかし、否が応でも、無理やり始まっていしまう祭りは、
いつでもできる追体験よりも有効に機能することは、
明日出来ることは明日にしようと思ってしまう僕には、
容易に想像できる。