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シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

自分が救われた瞬間について

自分が過去に書いた文章は恥ずかしいし、受け入れがたい部分もある。
それは、酔っ払って書いた文章もあるし、夜中にテンションが上って書いた文章もある。
でもそれも含めて、青くて、衝動的で、感情が揺さぶられる部分もある。
自分が書いた文章であるから、自分が一番、こころ揺さぶられる。
そんな文章を公開してしまうのは良いことなのだろうか?
わからないけど、でも、そんなことも公開してしまうのがブログで良いのだろうか?
何にしろ、以下の文章は、少しだけ、過去に書いた文章が、もう少し過去に関して言及しているという入れ子構造で…
というまどろっこしい事を書きたいのが、自分らしいな〜と思いつつ…。

付け加えるべき文章(2015年12月22日)

過去に書いた文章を整理した後に、現在の自分から文章を付け加えるべきかどうか迷った。
 やはり過去の自分とは考え方が違うし、しかし、よくわかることもある。(僕は今でも自分について書くときはこんなまどろっこしい言い回しをするのだな…と少しあきれる)
今の自分にも少しはある部分だけれど、どうしようもなく自己嫌悪で、どうしようもなく感覚的で、どうしようもなく学問的ありたいと思い(今となっては衒学的に過ぎない。感情を制御するためのものと思っていた)…たくさんの過剰が積み重なって、自己嫌悪でありながらプライドの壁にも隔てられて、やっとこさ一歩先へ進むという、非常に比重の高いゼリー(ほとんど固体に近い)の中を進んでいる気がしていた。
文書を書かないと一歩も先へ進めず…だからこそ、過去に書いたものを読むと、どうしようもないその時の自分にあてられて(・・・・・)しまう(影響を受けて沈んでしまう)ため、なかなか読み返せなかった。
『どうしようもなかった僕へ』という文章を、2008年3月4日に書いている。

どうしようもなかった僕へ


解けないパズルを解く
それは解けない
今となっては分かる


僕には何も無い
だから何かを得なければ
結局何も得られない
それは絶望ではない
そのときは分からない
しょうがない


自己否定が続く
自分はダメな存在
何も得られない
自分のコトバのどんなに小さな部分でも
自分を強化する部分に対して攻撃する


だけどプライドが高い
その事がさらに
自分を攻撃する部分となる


そこから抜け出すのは
尋常じゃないパワーと
時間と
あといろいろ
いろいろ


どうしようもないと思う
どうしようもないと思う


でもきっと答えは出るさ!
大丈夫!
大丈夫!大丈夫!


泣いた方がいいよ!
笑った方がいいよ!
狂ってないよ!
おかしくないよ!
どうだっていいよ!
焦らなくていいよ!
何も気にする事無いよ!


誰にも分かってもらえなくてもいいよ!


どうか、どうか、

はっきり言ってあれは、僕が救われた瞬間でした。
自己嫌悪で本当にどうしようもなく空中であがいて、息もできない自分のことを、好きになっていいんじゃないかな…って思えた時に、天から光が差したように、どうしようもない幸福感に包まれた。
なんか文章として書いてしまうと、大したことないように思うけれども、僕の中では、天と地がひっくり返ったような発見でした。
 マルクス・アウレリウスの『自省録』という本と、アランの『幸福論』という僕の好きな本がありますが、それらを読んだのは、僕がその自己嫌悪から解放された後でした。読んだときに、“僕がその時に悟ったたくさんのことが既にそこに書かれている”と思いました。早く読めばよかった…と思う反面、でも、自分でそのことを悟ったからこそ、これだけ圧倒的な存在感をもって僕は受け入れることが出来るのだなと思いました。
 文章を書かないと一歩も進めない…という感情を持っていたからこそ、そのような感情から救われた結果、僕は一歩進むのに文章を書くことをあまり必要としなくなってしまっていました。文章にも、あの頃の圧倒的な美しさや幻想を見ることが出来なくなってしまいました。
 しかし、今回、このように過去の文章を整理して読み返す中で、自分の中で、また少し変わってきた部分があるな、と感じます。それが何かはわからないのですが、感覚でしかないのですが…
 過去に書いた文章も、つたない文章だなとは思うけど、でも僕自身はその時の感情や感覚…においも含めて思い出すことが出来るし、この文章を受け取った人が何かを感じてくれたと思う。そしてそれは僕と同じものではなく、僕の感覚を切り取った言葉で、別の感覚を想起させてくれればそれでいい(だって、脳と脳でデータのやり取りをしているわけではないのだから)
 自分の文章を改めて読んで、やはり、僕は感覚優位の人間であると、そしてそれが今は誇らしいと感じることが出来る。
 そして、また、先へ進める感じがしている。
 
すべてが変わった
何も変わらない
文章平面では矛盾しているけど
その文章が投影する幻想四次元空間では
まったくその通りである
それはメビウスの輪のよう

透明な鉱物が好きである
方解石、石英電気石、アクアマリン、蛍石
それらを透過した光とその屈折率
それは投影された幻想

現実と幻想を混同することから
幻想を現実のエネルギーとすることへ

銀河鉄道の幻想第四次世界から力をもらって
しっかりと三次空間の切符を手に
進んでいく