シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

心象スケッチというネーミングについて

ネーミング…
名付けるということのパワーを、
僕は、ソシュールという言語学者の考え方から学んだ。
元々、僕は、名付けることによって分類するんだろというぐらいにしか考えていなかった。
しかし、ソシュールが言っているのは、
名前を付けた結果、その名前によってそのものを初めて、認識できるようになる…
つまり、「そのもの自体→名前」という矢印が、「名前→そのもの自体」というように、
全くグルンと入れ替わってしまった感覚を覚えた。
例えば、犬、ということによって、猫と犬を別の生き物として分類することができる…という事から、
犬、と呼ぶことによって、犬を犬として認識するというわけです。
何が違うんだろう…とこれだけでは思うかもしれないですが、もう少し、拡大解釈をして、
血液型がO型と分類されている人は、このような性格傾向があると言われることが多いですが、
血液型がO型であると分類された瞬間、その人は、O型的性格として振る舞い出す…ということがあり得るのでは?
と言うと、少し分かりやすいかもしれません。
僕は、ここまで考えて、名付けるということの、重要さ、恐ろしさを感じました。

さて、今までで、僕が一番すごいな…と思った名付けは、
宮沢賢治が自身が書いた詩を、詩ではなく、自身の心に立ち現れたことをそのままスケッチしただけ…
ということで“心象スケッチ”と書いたことが、恐ろしく、素晴らしい名付けではないか…と思います。

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
『春と修羅』序 宮沢賢治

やばいです。
詩じゃないんです。スケッチしただけなんです。