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シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

セカイのシンプルさについて

全てがシンプルで分かりやすければいいのに…
そう思う。

セカイはきっとシンプルである。
そこに原因と結果を求めたり、予測したり、白黒つけたり…
そうすることによって、知覚することができるセカイはより複雑化する。
ただそこにあるセカイは複雑になっていないのだけど、
人から見えているセカイはどんどん複雑になる。

物理学でセカイを切り取ったとしても…
現在は、ニュートン力学で理解されるセカイと、
量子力学での小さなもののセカイは、全く違うセカイである。
それらは相いれず、特に量子力学は我々は感覚的に理解できない。
存在することと存在しないことが同居したり、
そのものがどこにあるかが、時間を止めても特定できなかったり…
そして、その二つを統一する、統一理論の研究が進んでいる。
それはできるんだろうか?
しかし、16次元やそれ以上に次元を広げて、考えたり…
それは、理解を超えているという意味で複雑化するんじゃないだろうか…


それはそんなもんだ!常識だ!
雰囲気や状況で判断する必要がある。
仕事でもそんなことがある。
でもそう判断しないと、前に進まないし、
そんなことに時間かけてられないよ!って思うこともある。
じゃないと、仕事において、大切なことに時間をかけれない。


そもそも、人は、言語というもので、セカイを切り取って理解している。
ありのまま理解していない。
セカイをどう見るかで、見解が変わってしまう。
言語、宗教、哲学、思想、性格、個性、経験、体調、関係性、期待…
書き出してみると、それらが関わって判断が変わってしまうと思うと、
なんて複雑なんだ…
と思う。

それではどうしたらいいんだろう…
社会において、この複雑さはある意味仕方のないものがたくさんある。
社会そのものが、人間が定義したものの上に載っているから。
その中で、悩みすぎないためには…
やはり、一度、戻ってみることが必要なのではないかと思う。
こんなこと考慮に入れる必要があるか…
よりシンプルな方法は無いか…
考えすぎてないか…
難しく考えていることを、理解し、立ち戻るのは、
自分自身の力だけでは難しい。