シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

偶発性

言葉というのは

発された瞬間、
こちらの悩みとか考えを、
それに対して無自覚な他者が、その他者の意識をベースとして、
解釈する。
その事に、耐えられないと、他者とのコミュニケーションは絶えずらく辛いものとなる。
そもそも、
コミュニケーションは、言語ゲームであり、
本当の意味で、理解され、理解し、成り立つコミュニケーションは皆無に等しいという事を、
許容する必要がある。
これは、エネルギーの少ない人間にとっては拷問に近い事実であり、
そのダイナミズムを楽しめるものにとっては、
ゲームとしての楽しみを享受することができる。
メールではなく、直接話さないと、ニュアンスが伝わらないと言っている人は、特にその傾向が強い。
その通りであるが、日本人に多い、不安遺伝子が影響を及ぼし、
ディスコミュニケーションに怯えている可能性もある。
なぜこのように、その事実自体を、分かりにくく記すかというと、
それは、紛れもなく、僕が、ゲームを楽しんでいるからである。

レンズ

カメラで撮った世界は本物?
一眼レフのレンズを購入した。
5千円前後のレンズで、何十年も前の古いレンズ。
ロシアで作られたレンズで、製造した会社はもうない。
鼻にちかづけて匂うと、古い油と、カビの匂いがする。
F2の明るいレンズで、58mmの画角。
焦点を合わせると、周りのボケた部分が、丸く歪むのがわかる。
いわゆるぐるぐるボケというやつ。
最新の設計のレンズではあり得ないが、
こういうオールドレンズの描写が好きで、一眼カメラを買った。
この歪んだ世界は、本当の世界を歪めた、嘘の世界なのでしょうか?
僕は、世界は、そういう風に見れば、そう見えるという、ある意味解釈(及び認知)、の範囲内と思う。
まるで海の底にいるように目の前の世界を認知できる時もあるし、
透明の風が、見える時もある。
それは、僕らは、見える世界をそのまま映像として脳に映し出しているわけではなく、
脳の中には電線が通っているわけではなく、
神経という有機的な電線を、蒼い電気信号が、偶発性を有しながら通電しており、
シナプス間隙と言われる、隙間を、たくさんの種類の粒子が(神経伝達物質)物理的に発射される。
ファインダーを覗きながら、そんな事を考える。