シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

考えすぎについて

お前は考えていないと以前勤めていた会社の上司から言われたことがある。
自分の中ではものすごく色々と考えて、出した結果だったのに…

考えて出した結果と、考えずに出した結果が同じだった場合、それは考える必要はなかったのか?
そうは思わない。考えた経過が、頭の中に残るからだ。それは次の判断をする時に使える。
しかし、その結果が間違っていた場合どうだろう。
それは、それをどう今後に生かすかによる。

失敗した経験を、思い悩みすぎてドツボにはまる経験をしたことがある。
その時はまるで抜け出せない巨大迷路にはまったかのようだ。
今思えば、落ち着いて少し引いて考えれば、もう少し早く抜け出せることができたんじゃないかと思う。
でも、その時はダメだった。
怒られて、考えていないといわれ、落ち込んだ。
まるで、蟻地獄でもがく蟻のよう。
後で、その上司は会社の中で怖い人として知られ、
その人のせいでメンタルをやられた人が少なくとも2人いるという事だった。
でも、飲み会で話すと、すごくいい人のように思えた。
それが、結果的に救いになった。
飲み会の時に、自分がどう考えているかを話す機会があり、話した結果、
「あいつ少しは考えている」に評価が変わり、話を聞いてもらえるようになった。
そして、自分自身話しやすくなり、うまくコミュニケーションが取れるようになった。

その時に確信した。
ホウ・レン・ソウとよく言われるが、この上司とコミュニケーションをとるときは、
相談が一番大事なんだな~という事が。
その上司は完璧主義者であったので、どんなものを求めているのかをしっかり理解し、
そして、都度修正しながら進めていく必要があったのに、
自分は、期限とどういうものを作るかや、どういう理由で作るかだけ聞いて、
出来上がってから、報告してしまっていた。
それに、ただ悩み考えていても、自分が持っているもの以上のものは出せない。
いくらいろんな人に相談しても、その上司にしっかりと聞かないと、求めているものは出せない。
当たり前のことであるけれども、その当たり前のことを身をもって知れたという事に意味があると思う。

考えて考えて出した結果が考えずに出した結果と同じであるとは思わない。
しかし、考える過程において、自分だけで考えたのでは不足してるし、
当初の目的とずれていないか。
自分が認識している目的と、相手が言った目的は違うのではないか。という事は考えておく必要がある。
なんせ、言葉はあいまいでるし、それに社会は複雑であるから。