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シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

転換点(うだうだと)

転換点、変わり目、といったような言葉が前から好きだった。
転換点…点でも線でも面でもいいけれども、そこから全く違うカテゴリーのものになるということ。
カテゴリー分けをしたり、名前を付けたりする事はその分かれ目をつくるということだ。

名付けるのが先か、実際(中身が)転換するのが先かということも議論があると思う。
流行したものに対して、後から、名前を付けるという場合と、現在あまり人気がないものを名付ける事で、宣伝しやすくなり、ヒットするという状態に変化する場合もある。
転換点はきっちり線が引けないものが多いと思う。
近代から現代への転換…後付けであり、その時に暮らしていた人が、今日から現代だよ!とわかっていたはずはない。

自分の悩みであったり、他者との関係であったりと、ミクロなレベルの話を近代や現代といった時代区分とつなげて考えてしまう傾向が僕にはあった。
その後、セカイ系という言葉が流行り、これか…と思った。
具体的に言えば、自身のコミュニケーションスキル不足や、大学の学年間格差などの悩みを、時代の転換点(つまりポストモダン等)とつなげて考えてしまっていたという事だ。
それが間違っていたのかどうなのかは、分からない(それは考え方にもよるし、本当に現在が転換点であるかは、歴史が判断するから、分かりようがない)し、多分間違っているんだろうな…とも思う。

しかし、そう思うからといって、現在ではそんな考えはしないのか…といえばそうでもない。
社会で、特に労働をして生きていく中で、ビジネスでの常識に当てはめて答えを出す事もあるし、成功例や理論書を当てはめて答えを出す事が最近は多くなってきた。
しかし、ここでも転換点である。
大学の時読んだ『イノベーションのジレンマ』が頭に浮かんでくる。
そういった、成功例や、理論書も、いつか、大きな変化が来て、意味を成さなくなる。
自分が立っていた地面が、激しく揺らされる事となる。
揺れる地面の上に立つよりも、自ら揺らす立場にならないといけない…的な話は最近の経営関係の書物には多い。

でもそんなことはどうでもよくて、用は、僕が好きなのは、世界が変わっていくという物語が好きという事だ。
だから、自分の周りに起きた出来事を、もっと大きな出来事とつなげて、大きな物語にしたいんだと思う。
そこで、ポストモダン(モダン、つまり現代の後の時代が来る…みたいな感じ)が出てくる。
大きな物語の崩壊…ジャン・フランソワ=リオタールであったり…

そういえば、東浩紀の『一般意思2.0』を読んでいる。内容は非常に面白く、インターネットへの希望が持てる内容になっている(日本の政治には絶望的になる)。