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シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

占いについて

コト

僕の中のなんとなくの感覚で、こんな対比がある。
心理学 : 脳科学
=宗教 : 科学
=帰納法 : 演繹法
=占い : 心理学(認知行動療法)

あくまでも感覚ですし、心理学が二回出てくるのもご愛嬌!ということで。
大学生の時から思っていたのは、宗教も、科学も同じ目的に向かう違う方向からのアプローチでないといけない…ということ。ここで大事なのは、「である」ではなく、「でないといけない」と言っていること。
そうなっていないことが、悲しいな〜と思っていました。

仏教の成り立ちを見てみると、ウパニシャッド哲学という古代からの体系的な考え方がある中で、生や死などのことについて、ブッダが一生懸命悩み考えた結果、全く新しい仏教という考え方を生み出したわけです。
僕は、宗教に対する見方として、中沢新一さんの言っている考え方が良いなと思っている(中沢新一オウム真理教のイデオローグとなっていた…という危うさがあり、なおかつ、本人がその時の反省しているが、十分な反省及び振り返りが無いという批判もあることを付け加えておく)。
それは、何かを見極めるときに、それに近づきすぎず、少し距離をとって、愛情と客観的な目を持って、見ないといけない…(たぶんそんな感じの内容)…ということです。
どちらにしろ、僕は、宗教も本来学問たらないといけないと思っています。
ちなみに僕自身は現在特定の宗教に入れ込んではいません(念のため)。

はじめの対比に戻りますが、割合で表すのは数学的におかしいかもしれませんが、意味合いとしては、これらの項目が学問であってほしいと考えた時に、同じものを極めるアプローチとして、左側がより結果からどうなっているのかを探求する方法であり、右側がより構造からどうなっているのかを探求する方法であるということです。

さて、ここで占いと占い師についての私論ですが、占いとは、多くは、昔から経験(研究)の積み重ねによって分かってきた傾向…例えば手相がどうなっている人はこういう性格傾向が強い…という学問体系と、占い師自身の勘の強さの組み合わせによって、当たる当たらないが決まると、想像している。
勘というのは、無意識の処理能力を活用することで、最近流行の心理学である神経言語プログラミンでも言われていることですが、無意識は、意識と比較にならないくらいの処理能力があります。
占い師さんはこの無意識の力を使い、分析したり、過去にであった(観察した)人の中でにた人を見つけることによって、性格傾向や、今後の行動を予測しているのではないでしょうか。
ここらが統計学で対応できないのは、人間の情報処理能力のパソコンとは比較できない高さであり、この人とこの人は雰囲気的によく似ているというようなことを一瞬で判断できるようなすごさにあると思います。
また、無意識の処理能力は、人が何か選択するときに、ぱっと頭に浮かんだ答えと、悩んで出した答えでは、前者のほうが正解傾向が高い研究結果からも示されています。

以上が、僕が考えた占いと占い師に関する妄想です。

(一昨日から予定になかった出張で高知県にいます。苦手なホテル泊まりが続いて、疲れて書いているので、無理矢理な部分があるかも…)