シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

ロック

最近のロックミュージックには、いまいち魅力を感じない!
というと、オッサンか!と言われそうだけれど、
おっさんには間違い無いのだけれど、ロックに魅力がなくなってしまったのは間違いなくて、
でも、それは、ロックが変わったのか、
環境が変化したのかはよく分からない。
The Cooper Temple Clauseというとっくに解散したバンドの、最後のアルバムを購入していなかった。

これなんだけど、この前のアルバムまで購入していて、
ちなみにこの前のアルバムが2002年の発売で、このアルバムが2007年の発売で、
ボクはきっと、この間に、ロック熱が冷めてしまったんだと思う。
今更ながら、この最後のアルバムを購入して、あまりにかっこよくて、狂ったように聞いている。
ボクは、BGMとして音楽を聴くというのは、ほぼ出来なくて、
聴くときは、何度もなんども、狂ったように聴く。
同じ曲を聴くし、なんなら、曲の一部分に、愛着とも陶酔ともいえる、
感情を抱き繰り返し聴く。
この感情が伝わったことはないけれども、
同じような趣向を持った同志はいる。
願わくば、同じような狂乱を演出できるミュージシャンが出てくることを願う。
別にロックじゃなくともかまわない。
これは、狂乱であって、バックサイドミュージック出会ってはならない。
基準はボクでしかないし、言葉で説明できるものもないから、難しいんだけどね。
試しに、狂乱の音楽を貼ってみる。この人たちは、本当には、狂いきっていない。
なぜなら、まだ生き残っているから。
音楽は、狂乱だ、
狂ってる

生き残っていない人で、好きになったのは、例えば、
ジョイディビジョン

Joy Division - She's Lost Control (Live At Something Else Show) [Remastered] [HD]

トレードオフ

ホノルルマラソン

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ホノルルマラソン行きました。
一応完走しましたが、
完走する、歩かないという2つの目標を立てましたが、
二つ目の歩かないは達成できず、
6時間半という、散々な結果でした。

ホノルルマラソンに参加するきっかけとしては、
あまり長距離を走るのは、個人的に苦手な方なのですが、
フルマラソンを走って、最終的には、ホノルルマラソンに参加したいなと思っていました。
というのは、ホノルルマラソンの時期は、すごく旅費も高く、
今の自分にはとても無理と思っていたから、近場のマラソンから攻めていこうと思っていました。
しかし、今年、愛媛マラソンのエントリーから、抽選に落ち、
高知龍馬マラソンにエントリーしたくらいに、
従兄弟から、ホノルルマラソン参加しないという誘いをもらいまいした。
LCCで行くという選択肢はあまり考えておらず、当然取れないだろうから、という諦めがあったのですが、
予想外に、往復で5万円程度ということだったので、
ホノルルマラソンへの参加という、ある意味最終到達点からの出発も面白いなと考え、
参加をすぐに決めました。

個人的に結果は苦いものでしたが、素晴らしい経験となり、
また参加したいなと考えています…来年ではないですが。
そして、次の高知龍馬マラソンにつながりました。
これが、ホノルルマラソンでなければ、次にフルマラソンを入れていても、行かなかったと思います。

目標

新年になったので、というか、少し前から目標…というか、10年後の標(しるべ)がある。
ボクの場合、1年の目標というよりは、もう少し先に漠然とした到達点を置くことが多く、
今回は、10年後にそれを置いた。
しかし、今回、それが達成できなかった時の、トレードオフがあり、自分的にもそれはどうか…と思っているのだけれども、
自分から出てきたものであり、不可避なものだな…とも思っている。
トレードオフがないと、頑張れない自堕落な人間だと、自認しているのである。
仕事の目標であり、トレードオフは、仕事でいう自分の進退をかける。
自分との約束、10年先からは、どうなったとしても、新たな期間が始まる。

心ここに在らず

僕のような内向タイプの特徴として、話している途中や、講義を受けている時、そのほかどんな時でも、ふっと意識が遠くに行ってしまう感覚が多くあります。
その場にいるのに、そう行った場合、色んなことを聞き逃したりとか、退席した人が居たことに全く気づかなかったりします。
外向の人からしたら、不思議に思うこともあるかもしれません。外向タイプの人は常にいろいろな情報が頭の中に入ってくるからです。だから、耳栓をしたり、アイマスクをしたりするのは有効です。
僕の場合は、耳栓やアイマスクは、それ自体が気になってしょうがないので、何回か買って使ってみたのですが、全然ダメでした。不思議な事に、アイマスクを付けないと気にならない周りの人の事が、アイマスクを付けると気になりだすという事が起こるからです。
時間についても、進む速度が体感的にものすごく変わります。意識が遠くに行っている状態が多いと、時間の進むスピードが非常に早くなり、常に時計を見ていないと予定に遅れそうになります。そのため、早めに行動する感じになります。

地味な写真たち


新宿


USJで彩雲


スリッパを釣った

京都へ向かう道すがら離散的になる

6:17to7:15

現在朝6時17分
京都に向かう道すがら、スマホでダラダラと考えたことをメモしてみる
とは言っても、僕の場合は、なんだか沢山の事柄が同時に浮かんでくることもあるし
言葉にならない、イメージ的なものが浮かんでは消えていくことが沢山あり、それを言葉という網でつかめた時は、やった!と喜ぶのだけれど、大体はつかめずに、闇に消えていくのである
しかし、離散的な思考も、僕は大好きです
出張の移動中の時間は、そうやって費やすことも多い
周りから見れば景色を見ながら物思いにふけっている、もしくはボーッとしている、そのように見られる時は、そんな離散的な思考にふけっているわけです
最近、飛行機という乗り物に乗る事が増えて、しかし、バスや電車も、この、離散的な思考には良いのですが、事故に遭う確率は飛行機よりも格段に高い
今は、バスに乗りながらしまなみ海道を渡っているわけだけれど、地元民でありながら、この風景はいつみても美しい
1分前に見えていた朝焼けが、はっと見返すと、もうすでにそこに無い
この文章を書き出した頃は、何か書こうと思う事があって書き出したのだけれど、ほら!言葉の網でそれを捕まえていないから、目の前に来たその考えを、目の前にずっと浮かんでいると思って、そのままにしておくから、先ほどの朝焼けのように消えてしまったではないか!
先日より僕は風邪を引き、サイクリングのイベントの立哨を頼まれて、寒い中お疲れ様やった所、風邪を悪化させ、治りかけた所、色々と飲み会を断りきれず、完治させきれずに、鼻声を引きずったまま京都に向かっている
これから3時間以上かけて京都に行くのだけれど、京都とい所に関しては、あまり行ったことが無いにしては、すごく感慨深い場所である
まずはイメージとしての、日本の古き良き美しい街という事、そして、僕の両親が昔そこに住み、非京都人として、京都人から差別を受けたという事を聞かされてのイメージ、そして、僕が、東京の私学から、恐れ多くも京都大学編入できないかな〜と考えて、京都大学に申込み方法を調べに行った時に、パイプを吸っている京大生を見て衝撃を受けたイメージ(因みにその編入という企みは、第二外国語であるフランス語での経済に関する文章を読んでフランス語で設問に答えるという、僕の想像を遥かに超えたハードルを見て、一瞬で潰えたのであった)。そういった、美しさとか奇異さ、また、外からの人を簡単に受け入れない…だからこそ美しさを保てるとも言えるが…という事を、僕は“京都”という言葉を聞くだけで、同時に感知するのである
バスはあっという間に今治駅から出発して、大三島である
大島、大三島と、島に着くと、ぐるぐるとその島に降りる道を通り、お客を拾って、また橋へと戻る
お客さんがいるからしょうがないことではあるが、乗り物酔いの心配がある僕にとっては、苦痛である
小学校の時は、車に乗ったとたん気分が悪くなるくらいの、乗り物酔い持ちであった
大人になりほぼ酔うことは無くなったが、時たま体調がすぐれない時に酔う事がある
と、こういう風に乗り物酔いについて考えていると、酔うかもしれないので、この考え自体を僕の頭の中から追い出す
僕は音楽を聴くのが好きである、特にイギリスやアメリカのロックは好きだし、最近はEDMも聴く
しかし、音楽を聴かずに、周りの音に耳を傾けたり、音を意識の外に持っていって目の前の景色を体の中に取り入れることも、また楽しい
例えば、海の青をずっと見ていると、今まで知覚できていなかったもう少し深い青や、黒をそこに見いだせることもある
また、その色を見つめ続けると、恐ろしさや畏怖といった感情も湧き上がってきたりする
色というのは本当に不思議で、画家は、例えばモネなどの絵を見てみると沢山の色をそこに重ねる事によって実際の風景の美しさを表現しているが…僕は、モネとレンブラントの見え方の違いを面白く思う…その重ねられた色は、実際の風景においては、よく観察すると、同時に見えるのであります
乗り物に乗っていると、風景は前から後ろに絶え間なく流れていきます、それが、儚くも、風景をより美しく感知されると僕は思うのです
水温上昇のせいか、一部分の海面から白い霧が湧き上がっており、不思議な風景が右側に見え、そして例のごとくその風景も後ろに流れていった

7:20to7:29

これは、僕にとってある種の実験なのである
パソコンのキーボードというものに毒された、もとい、macのキーボードに毒された僕の
スマホフリック入力というものを行えるようになってから、僕のメールやラインに対してのハードルが下がった
もともと僕は電話は好きでは無いし、メールに関してもあまり返さない
そもそも、思いを言葉にするのにエネルギーがいるし、例えエネルギーをかけて文章に出来たとしても、送信ボタンを押すのにエネルギーがかかるから、そのまま送らずに消してしまうことやもある
つまり、このような、思いついたものを、そのまま…しかもスマホを使って、もといiPhoneを使って書きなぐり、見直しもせぬまま公開してしまうなぞ、僕にとってはすごく抵抗があるのだけれど
そんな抵抗は、瀬戸内海に捨ててしまえ!ぽーぃっ!という事で、もう瀬戸内海過ぎたので、なんのことか忘れた

7:40to7:45

もうすぐ福山駅であるが、その前にかくも渋滞にひっかかり、今まで流れていた風景が、繋がっている僕の思考もとまりそうになるのである
僕はバスの右側に座っており、右からは太陽の光を直接受け、甚だ眩しさに目を左側に向けるのであります
バスの左窓から見える空は、よく観察すると、ターコイズブルーというのか、絵に使うとすると、南の島、おおよそハワイあたりの空に使う色である
空を描く時に、日本の空ではこの色は使わないなという色であり、普段から色についてあまり観察していない事を思い知らされるのである
上側の窓は青みがかったコーティングがされており、そのコーティングを通して見る空の方が、おおよそ日本の空といったら思い浮かぶような色である

7:49

僕はどのような思考を志向するのか
それが問題だ

7:53to7:58

僕は実は今日はあまり調子が良く無い
先ほど書いた風邪というのもあるが、昨日、友人と飲み会を夜に行っており、その影響が強い
しかし、書き留めると、ここまでいろんな事を考えている
書き留める事によって、思考が進みにくい事を差し引いてもだ
そうすればいつも書き留めればいいと思うだろうがそれは面倒だ
めんどうであるし、スマホ、もとい、iPhoneのバッテリーもすでに82パーセントである
現時点で最もバッテリーが持つ選択肢である(たぶん)iPhone XRをもってしてもだ
トイレにも行きたくなって来た
日本が素晴らしいと思うのは、どこにでもトイレがある事も、その一つの要素である
このバスにも付いているし、コンビニにもある
最近、東南アジア諸国など、他の国にもコンビニが増えているが、日本以外のコンビニには、トイレが少ない
海外に行った時は、トイレがあったらなるべく行くようにするが、日本にいる時は、着いてから行こう!などと思ってしまうものである

8:09to8:15

コンビニがあったら何か食べるもの買おうかなと思いながら、改札を入ると、右側のコンビニのレジが渋滞しているのを横目で見ながら、華麗にもスルーするのであった
足早にトイレに向かい、奥の小便器を選択する
女性には分からないだろうが、沢山利用されるトイレは、沢山の小便器が横並びで設置されており、僕が奥を選ぶ理由は、それを使っている人がより少ないだろうなと思うからであります
福山駅福山城がめっちゃ近いなーと思いながらホームの横に見える福山城を右に感じ、奥の自由席エリアへと向かう
前に父親とこの駅に来た時に、駅の建設にあたって、何か福山城の一部を壊す必要が出て、反対があったといったような話を聞いた事を思い出します。
まあそうだろうなという距離感であります
外の肌寒さを感じて、もう少し羽織るものを持って来ればよかったなとおもうのですが、それはもう後の祭りというものです

8:20to8:26

新幹線に乗り込むと、バスとは違い、駅までは止まる事なく風景が流れていきます
そのため、思考もバスに乗っている時とは変わり、それに影響されてか、気分もシャキッとしてきます
より早く風景が流れるほどに、頭の回転は早くなり、断片的な思考もその分増えますが、それは、風景の流れとともに、後ろの方へ流していってくれます
断片的な思考であるほど、その質量は小さく、早い流れに弱いという事であると思われます
しかしまた、そうなると何を書き留めていいかが分からなくなるという事にもなりやすく、また、これまで内容の薄い文章を書いてきて、少し指が疲れたので、少々休みたいと思います
というか、こんなもの読む人はいるのだろうか…

8:49to8:56

JUDEの音楽を久しぶりに聞く
JUDEとは、元BLANKEY JET CITYのボーカルである浅井健一がやっていたバンドであり、現在ではそれも解散していて、ソロで活動している
僕はその独特の世界観が好きで、美しく、儚く、アメリカ、ヤンキー、幻想などいろんなものを混ぜて、独特の完成された世界観を表現している人だとおもう
だから、その音楽を聴いている時に、違う世界へと連れていってくれるのが、嬉しい
僕は、ただのエンターテイメントよりも、人生を変えてくれたり、違う世界へと連れていってくれたり、毒にも薬にもなるような、そんなものが本当の作品だと思っている
醒めない夢はダメだとおもうけれど、その夢を見た事で、何かやらないと、と思い行動するような、そんな夢を見ていたいと思う

9:00to9:08

詩や音楽や絵などの作品の凄いところは、リリースされた後、作家の手を離れ、ある時は読者のその時の心の痛みと重ね合わされて解釈され、その事で涙を流したり大きく心動かされる
書いた時に作者は意識していなくてもだ
しかし、素晴らしい作品であるほど、たくさんの人のそういった思いを取り入れることができると思う
僕は個人的に恋愛についての作品ばかり出しているアーティストはくだらないなと思うのは、世の中がそういったものであふれているからだ
どんな強い思いで書いても、言葉というのは記号であって思いそのものではない
だからこそ、その複雑な思いそのものを召喚する装置として作品は機能しないといけないが
あまりにも恋愛についての言葉は使い尽くされており、本来の機能を発揮できない可能性が高いと思うからだ
だから、恋愛のことを作品にするにしても、そのものを描くよりも、そこから生まれた心の風景などを表現する方がいいと思う
それが売れるかどうかは別の話だけれど

9:25to9:30

もうすぐ京都駅に着くわけだけれど、13時からの会に間に合えばいいわけで、それまで何をして、何を食べようかで、ソワソワし始めている
こうなると離散的も何もなくなってしまう
収束させないとと思ってしまってるからだ
という事で、この離散思考文章も、ここで終わりにする
おわり。。。

スタバ

スターバックスで時間を潰すこととした。
スタバではティーラテを基本的にたのむ主義である
アールグレイティーラテがベスト

離散思考をした後は、整理して、収束させたり、シナジーを起こしたりとするのが普通の考え方である
僕の場合は、散らかした後、ティーラテで洗い流して終わりである

クリスマス

毎年、クリスマスの雰囲気になるのが早くなっている気がする
クリスマスに恋人もいないなんてって、いう人もいるが、僕は、恋人がいようがいまいが、クリスマスの雰囲気は大好きである
それは、異国感が漂うからであり、いつかは、ニューヨークや、ヨーロッパでクリスマスを迎えたいものである

モスバーガー

昼はモスバーガーモスバーガーの真価はサラダにある!安心して食べれる味だと思う
サラダLセットでと、迷いなく言う

美しい『見えない違いー私はアスペルガー』

きれいな絵本(※漫画)

見えない違い 私はアスペルガー

見えない違い 私はアスペルガー

アスペルガー(自閉症)の当事者が描いた本を、漫画化したものです。
アスペルガーについて、知りたい!という動機で読む以上に、美しい漫画だと思います。
絵本が好きな人は好きな本だと思います。
こういった本が増えてくれたら、新たな人にアスペルガーの理解してもらえるきっかけとなると思いました。
しかし、そんなことよりも、綺麗な本であるという事が何よりも所有欲を満たしてくれる!
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もちろん、アスペルガーについての知識も知れる、しかもより具体性をもって知れるので、
そういう意味では学術書よりも優れている。
自分のエネルギーの量をスプーン何杯分で考える、スプーン理論は知らない理論で、勉強になった。

愚かさ

愚かな事は

自分がそうであると知らない事
自分は違うと思う事
全てに意味があると思う事
全ては無意味であると思う事

酔っ払い

礼儀正しい酔っ払いであろうと思う
無駄に絡まない事
ゴシップを言わない事
楽しむ事
上司風を吹かさない事
全ての人を尊敬する事

政治家

資本主義の終焉
政治家は、何を志向しているのか
何も志向してないでしょ?
あり方よりも、やり方を大事にしてるでしょ?
そんなの、俺はフォローしないし、応援するつもり更々ないから
いつかは、資本主義のいき詰まりを皆が感じた時に、みんな離れていくから
今現在の支持を集められたとしても、いつかは淘汰されていく
俺は、そんなの支持しないし、今現在支持する人なんて、地元には1人もいないから
身内だったとしても支持しないから

自分が嫌い

自分が嫌い
自己嫌悪
否定否定
でも否定していって最後
変化を志向する自分だけは好きになれた
そこから前へ進むだけしかない
ネガティブから生まれるポジティブ

夢とイマジネーション

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夢を文章にするのは難しい
前回の“水族館の清掃員”というのがそれだ
朝起きた時、たくさんのイマジネーションと畏れが僕の中にあった
そして、あまりのイマジネーションの強さに、僕は言語化しようと思った
僕はイメージで物事を考える事が多いので、夢は、多分イメージ(もしくはゲシュタルト)で見てるんだと思う
だからこそ、その本当のイメージ(体験したもの)を言葉に置き換えると、何か違う気がする
それは、イメージを完璧に言葉に置き換えることは、不可能に近いからだ
だけれども、できるだけ、近づけたいと思う
でも、みる人によって、受け取り方は違うので、これは全て、自己満足でしかない
夢を言葉にしたい
でも僕の場合は、それは、本当はできない
でもその美しさと怖ろしさの欠片でも伝わればと思う
自己満足であるという気持ちと、自己顕示欲がせめぎ合う
そして、その葛藤を与えてくれた夢に感謝したい

シーサー

青いシーサーを買った
写真は一緒に買った青いボウルにのせたシーサー
シーサーを買うということは、僕は一生しないだろうと思っていた
でも、青いシーサーなら買ってもいいなとも思った
そして、青いシーサーを発見した!
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タイでは、シンハーというシーサーと似たものがある
シンハービールシンハーである
シーサーとシンハー…似ている
僕は、シーサーもシンハーも別にどうでもいいんだけど、シンハービールをこよなく愛する
だから、そういううんちくを知っている
今度は、青いシンハーを探してみようかな…

夢の機能

夢はその日起こった出来事の記憶を再合成しているらしい
だから、夢はゼロからの想像ではない
しかし、素晴らしいクリエイティビティーをみる事ができる
意識よりも凄い能力を持っていると言われている無意識を使って
色々な知識や記憶を西郷する事ができれば、夢以上のクリエイティビティー
人工的に発揮する事が常にできるようになるに違いない
と思う