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シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

変化

スイッチ

言葉は時に強く心を動かす
より端的でクリスタライズされているものほど
無意識にその時自分の置かれた状況と
時にこじつけに見えるほど無理矢理にでもあてはめる
言葉は力を持っている
しかしほんとに力を持っているのは
それを受け取る人間自身にあると思う
言葉でも音楽でも体験でも何でもいい
それはただ単に始動するためのスイッチを押すだけのもの
始動したくないと心で思っていたら何にも入って来ない

変える

金沢に視察に行って来た。
観光はできなかったけど、
素晴らしい街づくりの取り組みを見て来た。
福祉の力で街を作っているShare金沢という取り組み。
社会福祉法人が小さな街を作ってしまっている。
近隣住民が障がい者等に抱くイメージを、実際に触れ合う機会を創り出すことによって変化させている。
社会をよりよく変えていく事が、福祉の力で出来るという確信を持つことが出来た。
あれやってはいけない、これやってはいけない…
ではなく、理想を実現するために何をやれば良いのか!
そう考えようと思えた。

シンガポール

シンガポールという国が好きだ。
前回、シンガポールに関して書いたと思っていたけれども、
シンガポールについて書いてはいるのだけれど、シンガポールという単語を書いていなかった。
シンガポールには2回しか行ったことがない。
シンガポールといえば、マーライオンと、マリーナベイサンズと、ラッフルズホテル
僕は、食べ物が好き…
特に、チキンライス、チリクラブ
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植物園が好き…
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伝統と、未来の融合が好き…
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シンガポール独裁国家である。
独裁で…開発独裁ではあるが、最も成功した形であると言えると思う。
明るい北朝鮮…なんて、呼ばれることもあるらしい。
初代首相は2015年に亡くなった。
初めてシンガポールに行ったのは亡くなる前、
亡くなった後…今年もう一度シンガポールに行った。

初代首相であるリー・クアンユーは、徹底的に性悪説の人だった…と、
最近何かの評論で見た。
確かにそうなんだと思う。
シンガポールの国自体をホテルと考えれば、国民はホテルマンである。
シンガポールに観光でたくさんの人に来てもらうためには、ホテルマンである国民を、
教育する必要があると考え、教育に力を入れたり、
マナーを身につけさせるため、ゴミのポイ捨て等には多額の罰金を設定した。
でも、単なる性悪説で、あんなかっこいい国は作れないと思う。
もっと、前向きな強い意志を感じる。

指導者が国民の面倒を見る限り、国民は指導者に従うものである。(1994年リー・クアンユー

シンガポール国立博物館に行った時に、一番目立つ中間すぎた部分で、展示されている…
というか、繰り返し放映されている映像に心打たれた。
それは、シンガポールがマレーシアから独立宣言をした記者会見の映像
会見の途中、初代首相である、リー・クアンユーが泣きだしてしまう。
独立のきっかけは、独立したかったわけではなく、
主要民族が異なるマレーシアから半強制的に追い出されたためであった。
資源もなく、国土も東京23区ほどの面積しかない。
それなのに、独立せざるを得ない中で、半ば絶望的な気分だったのは想像に難くない。
しかし、その後のリー・クアンユー指導力と、経済発展は目覚しい…というか、恐ろしい。
近未来植物園、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイは、リアルファイナルファンタジー!と叫びたいほど、
SFチック!
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シンガポールが栄えた理由の一つは、商人の大多数が、英国人にしろ英国人以外にしろ、何かをやると言えばそれを実行し、政府が何かを約束すれば必ずそれを守ったことである。(1967年リー・クアンユー

僕は、シンガポールという国に立った時に、世界を変える事を感じることができる。
世界を変えたいと思っている人の、爪痕を感じる事ができる。
しかも、最近までその人は生きていた。
その人は、初めから前向きであったわけではなかっった。
指導者として、生き残りをかけて必死で自国民を教育した。
自分の利益を考える暇はなかった。国が生き残るために必死だった。
だからこそ、最高になれた。
そんな、暴力的なぐらい強いエネルギーを感じれる場所。

オザケン

EDMにはまっているけれども、ここ数日は、小沢健二の新曲「流動体について」と、
過去の曲、「愛し愛されて生きるのさ」の2曲ばかり聴いている。
小沢健二さんの曲を聴きながら、散歩をする。
テンションが上がる音楽はたくさんあるが、
感性と、においや風、光や温度が、繋がってくる感覚を覚えられる音楽はあまりない。
小沢健二の音楽と歌詞にはそれがある…僕にとっては。

スナップシューター

カメラでスナップショットを取ることは楽しい。
決定的瞬間を撮れた時の気持ちよさ。

どうしようかと迷った時に

とっさに、一歩踏み出すことが、常にできるようになる。

海外に行きたい

海外に行きたい、海外に行きたい、海外に行く!

飛行機の中で見た映画

君の名は。
この世界の片隅に
どちらも最高に泣けて、素晴らしいと思った。

好きな国

独立の会見において、大統領が泣きながら会見した国
幸せな独立ではなかったけれど、がむしゃらに、やれることすべてをやった国
獅子の国
SFの世界のような国
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時間とにおい

アンバータイム

時間というものは、
現在を、甘美な匂いのする過去の記憶という琥珀へと変えてしまう。
あんなに辛いと思っていた時間が、感傷のこもった空気感ともいえる匂いに変わり、
辛さという感情をどっかへ捨て去られてしまう。
本当に不思議だと思う。
逃げ出したくなるその時の感情は、今となっては、逃げなかったことへの自己への賞賛となっている。
それは親しい他者へ向ける感情と変わらない。
琥珀の色を僕はあまり好きではなかった。
琥珀を宝石のように、装飾品として持つ事を、僕は不思議に思っていた。
正直、気持ち悪いとさへ思っていた。
琥珀の美しさは、
その過去の記憶への、本当の意味で過去の記憶となったことへの、達観と、愛おしさを持てることができた時に、
初めて気付く美しさなのかもしれない。
なぜなら、琥珀こそ過去の美しさであり、
それは、結晶ではなく、
ただ樹液に閉じ込められた時間そのものであるから。

終わるということ

終わるということ

終わるということは悲しいことだけではない
大学生の時、ある活動家のインタビューを行ったことがあった
その人の活動計画を見せてもらった時に、
その人が立ち上げた団体の解散ということが5年後に書いてあった
僕はその時、反対運動などで、活動自体が目的となってしまうようなものをたくさん見ました
それで、僕は社会活動のようなものまで、嫌いになりかけていました
その活動家は、その解散ということについて尋ねた時に、
活動を通じて、この団体自体の必要性がなくなることで、団体を解散するというのが目標であると答えました
その時に、僕はその人が、そんな事を目標にできることが、心底凄いな…と思いました。
先日、仕事で、ある問題に対して立ち上がった、第三者の委員会が解散しました
会社を揺るがすような、大きな問題がありました
それに対しての事実無根の内容が混じった報道によって、職員全体も深く傷つきました
問題に対する対策として、全国から委員さんに集まってもらい2年にわたって、
検証し、意見を伺い、改善していく、という無限に続くような、長い取り組みでした。
毎回膨大な量の資料を用意し、事業所全体で取り組みを行いました。
先日の委員会で、委員の方から、
取り組みが非常に前に進んでいることを非常に評価いただき、
この委員会の役割は終わりましたと宣言して終了となりました
終わるということ、そして、やっとこの非常な労力に対して評価されたということに
今まで味わったことのない感動を覚えた

記憶

どんなに衝撃的で、心を揺さぶられた事でも
やがては化石のようになり、放っておくと風化し、目立たない風景と化してしまう
記録として早く対象化できるようにすることも必要だ、
あたかも化石を博物館に陳列し、タグをつけるように

辛いもの

辛いもの

実はものすごく辛いものが好き。
平気なわけではないけど、ヒーヒー言いながら、
辛いはうまい!と思っている。
右端のバードアイは、一味の3倍の辛さ…という事で、
いろんなものにかけている。
真ん中の島唐辛子も辛いし、旨味があるので、好き。
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辛さにも旨味の違いがあるのだな…と思ったのは、
お店で、ハバネロのパウダーを使った時に、
他の唐辛子と比べて、旨味が抜けている感じがした事で、
ただ辛いと思っていた、唐辛子に、旨味の違いがある事を感じた。
辛いはうまい、辛いはうまい…
でも、あまりかけすぎて、胃腸を痛めると、
体調や、セロトニン(幸せ物質)が減るので、
気をつけよう。

偶発性

言葉というのは

発された瞬間、
こちらの悩みとか考えを、
それに対して無自覚な他者が、その他者の意識をベースとして、
解釈する。
その事に、耐えられないと、他者とのコミュニケーションは絶えずらく辛いものとなる。
そもそも、
コミュニケーションは、言語ゲームであり、
本当の意味で、理解され、理解し、成り立つコミュニケーションは皆無に等しいという事を、
許容する必要がある。
これは、エネルギーの少ない人間にとっては拷問に近い事実であり、
そのダイナミズムを楽しめるものにとっては、
ゲームとしての楽しみを享受することができる。
メールではなく、直接話さないと、ニュアンスが伝わらないと言っている人は、特にその傾向が強い。
その通りであるが、日本人に多い、不安遺伝子が影響を及ぼし、
ディスコミュニケーションに怯えている可能性もある。
なぜこのように、その事実自体を、分かりにくく記すかというと、
それは、紛れもなく、僕が、ゲームを楽しんでいるからである。

レンズ

カメラで撮った世界は本物?
一眼レフのレンズを購入した。
5千円前後のレンズで、何十年も前の古いレンズ。
ロシアで作られたレンズで、製造した会社はもうない。
鼻にちかづけて匂うと、古い油と、カビの匂いがする。
F2の明るいレンズで、58mmの画角。
焦点を合わせると、周りのボケた部分が、丸く歪むのがわかる。
いわゆるぐるぐるボケというやつ。
最新の設計のレンズではあり得ないが、
こういうオールドレンズの描写が好きで、一眼カメラを買った。
この歪んだ世界は、本当の世界を歪めた、嘘の世界なのでしょうか?
僕は、世界は、そういう風に見れば、そう見えるという、ある意味解釈(及び認知)、の範囲内と思う。
まるで海の底にいるように目の前の世界を認知できる時もあるし、
透明の風が、見える時もある。
それは、僕らは、見える世界をそのまま映像として脳に映し出しているわけではなく、
脳の中には電線が通っているわけではなく、
神経という有機的な電線を、蒼い電気信号が、偶発性を有しながら通電しており、
シナプス間隙と言われる、隙間を、たくさんの種類の粒子が(神経伝達物質)物理的に発射される。
ファインダーを覗きながら、そんな事を考える。