シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

好きな俳句

俳句はあまり知らないけれども、それでも覚えているくらい好きな俳句(短歌)がある。

東風吹かば
匂ひをこせよ梅の花
主なしとて
春な忘れそ


管原道真

旅に病み
夢は枯野を
かけ廻る


松尾芭蕉

どちらも旅に関係する俳句で、
なおかつ物悲しさがある。
後の俳句は、病んでなお、心は枯野を駆け巡っているという、
芭蕉は根っからの旅人なんだな〜と思い、
その心持ちに心動かされる。

淡水魚

作品の質

僕は作品の質や美しさは
背景にどんな汚いこと
枕営業やドラッグがあったとしても変わらないと思う(もちろんその事で作者が罪に問われないという事ではなく)
ぶっ飛んだものや完璧な世界を見せてくれるのであれば
それは常人の理解を超えた世界を見せてくれるのであれば
作品に罪はない
日本はそれを結びつけすぎる傾向があると思う
政治家のスキャンダルも同じ

淡水魚

不味そうな見た目
淡水魚ならではの臭みを香草で隠す
意外と美味い!
f:id:post_kiyo:20171106215209j:plain

alcohol

全て燃やし尽くす
俺の記憶
日常と非日常を行き来する
エネルギー
テキーラ!ラム!

“ ”

俺は何をしているんだ
くだらない仕事
くだらない日常
しかしその日常を至高のものに変える
自己顕示欲の強い自分
何か大きいことをしたい
しかし
ちょっとした瞬間が
くだらなくないものに変わる瞬間
日常と非日常の境界線
それは心の持ちようで変わってくる
日常が非日常とつながる
くだらない日常が
最高の瞬間と等価である
全てを好きで
みんな好きになれる
好き好き大好き

嫌な話

30の声を聞く
自分の耳に残る残響から消し去りたい言葉
34歳になった今
安心している自分がいるのが嫌だ
嫌だ
20代の自分は
安心できなかった
30代の自分は
何も違わない
ただ
1年という人が決めた勝手な決まりの単位の上で
30以上経っているというだけ

そんなの…

安心したくない
安心したやつになりたくない
いつだって非日常
安心したい自分を
北海の海に放り込みたい

ロイクラトン

スターアライアンスゴールド

達成おめでとう!自分!
これで、これから飛行機(ANA及びスターアライアンスグループの飛行機)ライフが変わります!

日常と非日常

日常と非日常の区別なんてない
意識を変えればいつでも非日常

ロイクラトン

タイの灯篭流しに行ってきた
f:id:post_kiyo:20171104001031j:plain
f:id:post_kiyo:20171104000930j:plain
だいぶ灯籠消えてしまっていましたが、
地元の人の中に入って流せたので、
雰囲気が味わえてよかった。

最強の組み合わせ…空芯菜と蟹カレー

また空芯菜
そして今のところ世界最強の食べ物プーパッポンカリー
f:id:post_kiyo:20171106213454j:plain
奥が空芯菜
f:id:post_kiyo:20171106214015j:plain
ソンブーンシーフードのプーパッポンカリー(蟹カレー)最強!

今年最後の…

ほろ酔い

が一番サイコー!
ほろ酔い以上は無くなったらいいのに。

これから

今年最後の海外に行って来ます。
多分…
一人で行って、バンコクにいる同級生二人と、その外高校の同窓会!
少しの不安と、沢山の楽しみ!
つまり、不安もスリルと考えれば、
楽しい!楽しい!楽しい!

海外研修

親切さ

今回アメリカに行って感じたことの一つは、日本人はもう、あんまり親切とは言えないんじゃないかということです。
アメリカ人の親切さを親切ととるか、おせっかいととるかは議論が分かれると思うけれど、困ってそうだったらじっと観察して、声をかける。こっちの方が近いぞ!と、自分の知ってることは伝えてあげたいという意識が強く、ほぼ間違いなく声をかける。
困っているときでなくても、買い物の時や、レストランでの注文など、たくさん言葉が飛んでくるので、英語が不得意な僕にとっては戸惑うことが多い。
これまで行った国では、少しの英語と、後は目ぶり手振りでなんとかなったんだけど、英語を勉強したいと思った。アメリカのとおせっかいな深切さをもっと感じたいと思った。
それと、日本人は親切だといわれるけれど、親切の方向性が違うだけで、どこの国も(少なくともモロッコキューバベトナム、タイ、シンガポール、台湾)親切な人が大半だった。今、日本人として、もう少し親切でありたいと心から思っている。

アルバマーレ

f:id:post_kiyo:20171024215420j:plain

理念の大切さ

今回、自閉症者への支援に関する研修で、アメリカにいかせてもらって、感じた一番大きなことは、理念、ビジョンの大切さです。
理念、ビジョンにのっとって、ゴール設定をする。その上で経営のことを考えるんだけれども、そのゴールを達成する過程で必ず考えないといけないことが経営であり、経営だけを考えてしまうと理念を見失ってしまう。
経営はもちろん大切です。人財も、教育も、しかしそれは理念を達成するために当然必要なものであり、向う方向自体ではない。船で目的地に向かっているとする。船が向う先が大切なものであり、船や推進力(オールやエンジン、食料)は当然必要ではあるが、それは目的ではないように。
理念を貫く熱量が、我々と全く違う。
道具や方法を見るのではなく、その部分をまずは見習うべきだと感じた。

研修

研修というものが個人的には好きで、積極的に参加するようにしている。
できるだけ、グループワークがある研修などの参加型の研修を選んでいる。
そうでない場合も、前から5番目以内の席に座る、質問を考えながら聞く(できるだけ質問する)などを、自分に課している。
ただの知識を学ぶだけでは、研修に参加する意味はないと思う。
本でいい
物事に取り組む熱量であるとか、成功者や講師への憧れ(あんなふうになりたい、やりたい)、なるほど!という体験、追いつめられたり交流したりそんな場数を踏むことで自分が変わっていく、そういった体験が、研修の意味だと思う。
最近は研修計画にかかわる事が多いので、そういった事を意識しながら研修を作ったり、意見を言ったりしている。
そういった、インパクトを受講者に与えるために大事なのは、場づくりだと思う。
受講者が問題に直面しても、特に色々な職種や、性別、年齢とばらけるほど、研修にどれだけの熱量で参加しているかもばらばらになり、一生懸命な人と、出来れば楽に終えたい人が出てくる。
いやいや参加したとしても、充実した研修にしてほしいと思うと、それだけの場づくりをしないといけない。
つまり、すべての人に“直面させる”という事になると、それ相応の場をつくらないといけない。
“直面させる”というのは、研修のテーマにより必死で向き合わせるという事です。
研修の講師として、すごい人はその場づくりがうまい人だと思う。
しかし、我々は素人であり、素人でも場づくりを効果的に行いたいと思うと、無人島、海外、自衛隊、等、実際に場所を変えてしまうという事が一番です。
言葉が通じない中に放り込まれることで、食料も自己調達しないといけない過酷な状況に追い込まれることで、みんなで力を合わせて、問題に取り組もうとし、チームワークが身につく。
まあ、会社とかでやりすぎるとブラック企業とか言われてしまうけど。

マトモとクレイジー

成田空港

明日、アメリカのアルバマーレとローリー・ダーラムに飛ぶために前泊ということで、成田に来ている。
やることないので、と、台風なのであんまり遠くに行って帰ってこれなくなるのもあれなので、空港をウロウロしている。
第三ターミナルに来たとき、嫌なことを思い出した。東京に遊びに来て、帰りの飛行機が天候的には全く問題ないのに突然の欠航になってしまった。機材のなんとかって言ってたな…
思わず写真を撮った。

その日は振り替えを行ってもらえず、次の日仕事があったので、やむなくANAで、正規の金額で帰った。
次の日仕事の場合はもう二度とLCCは使わないとそのとき決めた。

マトモとクレイジー

それほど自分のことを客観視できているかというと、微妙なんだけれども、第一印象で、僕のことを真面目と見る人はいても、ぶっ飛んでるなーと思う人は少ないと思う。
僕は、自分がマトモで無くなってしまうことを必要以上に恐れていて、自制しているからかもしれない…

いろいろな思考や感覚、感情は、そのもの…つまり言葉などの記号に置き換える前は、時には儚く、時には必要以上の力を持っている。その強さ自体も人によって感じ方が異なる。
その人や、また環境によっても感じ方が異なり、特に感性がマックスのとき(研ぎ澄まされているとき)は、受容する人物理的に影響を与える事もある(恐ろしさのあまりショック死する人もいるくらいなので)。
だから言葉のような記号にすることでよりフラットにする。
空間で例えるならば、空中(空)と、地面のような感じ。
感覚の世界は空中空間のように無限に広がっている。しかし、そこにとどまっていることは、空を飛び続けるように難しいし、大きな風に煽られて、飛ばされたり落っこちて怪我をする可能性もある。感覚を磨くために、古代にはシャーマニズムの世界のように修行があり、そこには、ドラッグの使用があるものもあり、失敗しないために師匠や教祖のような人に師事したんだと思う。
つまり、感覚の世界は危険であり、それを現実につなぎとめるために言語化(記号化)を行うんだろうと思う。

感覚の世界でぶっ飛ぶことは、(ドラッグなど使わなくても)容易にできる(と、思う、少なくとも僕はできるので)。山に行ったり、森に行ったりして、感覚を研ぎ澄ますことと、本を読んで、素なフラットな文字という記号を、頭の中で、感覚という空間へ展開、解凍、する事で…
そのようなときの僕を見ている人は、僕のクレイジーさを知っている。
お前そんなんだったっけ?と何度か言われたことがある。

でも、そちらの感覚の世界に行き過ぎると、戻ってこれなくなるんじゃないか?という直感がなんどかはたらいたことがあって、恐れという感情が働き、自制してしまう。

僕が海外を好きなのは、日本という同調圧力の強い社会では、開放できない僕の感覚が、少し解き放たれる快感を味わいに行く、という理由が、少しはあるんだと思う。

こんな長くてよくわからない文章をわざわざスマホで書いて更新している自分はやっぱり変だと、つくづく思う。

勇気が出る言葉

素晴らしい名言を知った。

怖がらなくてもいい。
死ぬこと以外はかすりキズだ。
山崎拓

強くなれとか、精神を鍛えるとか、そんな必要はない。
ただ考え方を変えるだけ、物事の見方を変えるだけ、パラダイムを変えるだけで、
楽になる。

初米本土上陸予定

来週アメリカのノースカロライナ州シャーロットに行く予定
飛行機が飛べば…