シン・トー

読書とか、日常の中で感じたこととか、空想とか

コトバ

宮沢賢治のコトバ

文学の凄さを僕は感じることができない
文学的であるとか、国語の試験とか、
よくわからない。
でも、表現や描写の凄さ、想像させることの破壊力、というのは感じることがある

宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』クーボー大博士が講義しているところ

 ブドリはそれを一目見ると、ああこれは先生の本に書いてあった歴史の歴史ということの模型だなと思いました。先生は笑いながら、一つのとってを廻しました。模型はがちっとなって奇体な船のような形になりました。またがちっととってを廻すと、模型は今度は大きなむかでのような形に変わりました。

どうなっているの?
これは文章の醍醐味です。映像で表現するときっと陳腐になる。
宮沢賢治は“にゃあとした顔”とか、立川談志のいう“言葉のイリュージョン”を感じることができた。

宮沢賢治の童話の中で、一番訳がわからないけれども、素晴らしい作品『やまなし』
クラムボンという不思議な何かわからないものが出てくる話ですが、

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。

ではじまり、

私の幻燈はこれでおしまいであります。

この文章で、一気に違う世界に僕を連れて行ってくれて、引き戻してくれました。

村上春樹について

大学1年生の時に初めて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで、村上春樹を好きになった。
それから、必死で、村上春樹作品を読みあさった。
本を読む習慣というのは、それまで、僕にはほとんどなかったけど、
本を読む楽しさを教えてくれたのは、村上春樹作品でした。
はじめに、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだのは、すごく良かったと思います。
なんだこの作品は!こんな面白いことが小説でできるのか…と感動しました。
簡単に言ってしまうと、
世界の終りというファンタジーの世界と、ハードボイルド・ワンダーランドというSFの世界が同時進行する。
はじめ、全く関係なく思われた2つの世界が、少しずつ繋がっていくという、
すごい設定の作品で、衝撃的な面白さを感じました。
長編小説はすべて面白いですが、
やはりこの、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と、
ねじまき鳥クロニクル』が特に僕は好きな作品です。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が初期の村上春樹の設定の凄さや分かりやすさの頂点であり、
ねじまき鳥クロニクル』は90年代以降の少しわかりにくく、心の世界に深く踏み込んだ作品群の頂点じゃないかなと思う。
ねじまき鳥クロニクル』は主人公の妻が失踪するところから始まるが、様々なわけのわからない登場人物が出てくるし、
井戸の中に閉じ込められたり、変な儀式をしたり、戦争の頃の痛ましい拷問シーンが出てきたり、
それが何を意味するのか…なんだか良く分からないけど、それを考えることの楽しさを与えてくれ、
なおかつ、作品全体としてのわけわからなさが、なんとなくまとまっていて、
言葉では表現できないけれども、感覚として、理解できるような何かを、与えてくれる作品でした。
村上春樹のジャズな、というべきか……コトバにも惹かれました。

「あなたの中には深い井戸みたいなのが開いているんじゃないかしら。そしてそこに向かって『王様の耳はロバの耳!』って叫ぶと、いろんなことがうまく解消しちゃうんじゃないのかしら」
 僕は彼女の言ったことについて考えてみた。「そうかもしれない」と僕は言った。
出典:村上春樹ねじまき鳥クロニクル

鳥と夢

空中を泳ぐ鳥
車に乗って、速度を出した時、窓から手を出して、風に抗うと、
空気の粘性に気づく
現在の、物理学では、なぜ飛ぶかわからない小さな昆虫がいるらしい
どうやら、この空気の粘性が影響しているようだ
小さければ小さいほど、空気の粘性が影響してくるらしい

水中のおよぎは人間たちに、いかに鳥が空中をとぶかを教える。
水中の泳ぎを述べよ、そうすれば空中の飛びかたがわかるだろう。
出典:『レオナルド・ダ・ビンチの手記(下)』(杉浦明平 訳)

高い粘度の空気の底で
地上で溺れる夢を見た
非常に重い空気の中で
もがいてももがいても
3メートルくらいしか
浮いてこない
ボコボコと、空気の中
吐く泡は何からできる
はるか上空に
500キロメートル上
きらめく気相が見える
その底で僕は
ただ苦しくもがくのみ

子供の時ぼくは
水にたたられているのだと思っていた
ただよく水をこぼすというだけだけど
本気でそう思っていた
最近ではどうやらそそっかしいだけだ
そう思い直した
でも本当に
何か、水難の相があるのではないかと
こぼすたびに、最近も思うことがある

走る目的

最近、仕事が終わった後、走る機会が増えた
ゆっくり30分ほど走る
実はぼくは、長距離を走るのは得意ではない
そんなぼくは出来るだけこの習慣が続くよう
ルートを変えたり工夫していたが
今はポケモンGOのモンスターの卵を孵すよう
走っているおかげで
あまりやっていない割にはレベルが上がった

しかし…

走った日は、体が熱くなって、寝つきが悪い

ランニング

ランニング

30分のランニング
走る、走る、走る
腕を振って走る
もっと腕を振りあげて
腕の重さを振り子にして振り上げ
自分の体重を持ち上げる
65キログラムが腕の力で軽くなる
ヘリウムを詰めたボールように軽くなったこの身体を
足でポンッっと押してやると
ふわっと浮き上がって身体が前に出る
月面を歩くように

走った後
やはり腕にはそうとなトルクがかかっていたらしく
強い疲労感が襲ってきた

月の表面

日本の神道では
月の神様ツクヨミは男性であると言われ
太陽の神様アマテラスは女性である
通常、世界では太陽の神は男性が多いと思われる
日本人は太古の昔から
月の表面がゴツゴツしていることを知っていて
修験道の山である東北山形にある月山はゴツゴツした山肌です
僕は、太古の昔の人々の想像力の凄さを感じる
ただ、月にちなんで名付けただけではなくて
月の表面と時空を超えて山が繋がっていることを
感じていたに違いない

月が追ってくる

子供の時に
走っても走っても
車で移動したとしても
月が追ってくることを不思議に思ったことがあると思う
まじまじと見ると恐ろしい
満月の時は特に
満月でも、不思議に赤い色の月の時はなおさら怖い
この怖さを大人になっても感じる俺大丈夫?って思うことがある

昔、ゲゲゲの鬼太郎で、
再放送の「イースター島奇譚」という話があって
いわゆるトラウマ回と言われるような怖い話ですが
その回で赤い月になった時モアイ像の目を削ると血が流れて
地獄の使者に会い、お金持ちになれるという話で
それを得ようとした男(かなりの悪人)が呪われて死るという話が頭の中に残っていて
思い出して怖くなるのかもしれない
昔の人のイマジネーションは僕のこれとは比べ物にならないほど
強いと思う
昔話も怖いものが意外と多いし
映像がない、語りによって得られるイマジネーションは無限に広がる

イチヂクの香り

走っていると
イチヂクの強い香りが僕を圧倒する
子供の時に、イチヂクの葉が怖かった
その頃は、イチヂクの匂いも気になったが
なぜだか、葉っぱがものすごく怖いと感じた
走っていると
いろいろな花の匂いや
草の匂い
水の匂いが飛び込んでくる
しかし、圧倒的なイチヂクの香り
ドキドキする

少し仕事のこと

ミレーのビスケットが

美味しい!太りそう…

分からないことを分かること

正直さが大事だと思っていた
確かに正直さは大事だ
でも、何を優先順位として持ってくるか
正直さは大切だと思う
嘘はつくべきではない
でも、あえて言わなくていいこともたくさんある
それを分ける行為は、自分は自然に行っていたんだな
それはあえて言うべきことではないでしょ!という事が分からない人もいるのだなー
会社の人と話をしていて気付いた
特に日本人は、コミュニケーションにおいて、割と高度なことを自然に行っている
そして、それが自然にできない人に対して、
何で分からないのか、出来ないのかが分からない
でも、言うべきことと言うべきでないことの線引きは感覚でしかなく
難しいな…と思ったし、
果たして自分が正しい選択をしているのかも、感覚に頼りすぎず
しっかり考えないといけないと思った

幸せであること

それが全て
僕が10年くらい前、悩んで悩んで悩み切って
それで得た結論
幸せであること

これは真理ではなく
僕が、僕を信頼しているからこそ、
幸せであることを追求すれば
自分にとっても
周りにとってもいいことであると結論が出せた

一番難しかったのは
自己嫌悪からの脱却
自分を好きになれたのは
色々自分を否定したあと残った
いろんな意見を受け入れられる自分という存在がいた事

そして、幸せである事が一番大事という考えは
今も変わらない
今日それを会社の人との話の中で使った
どこに幸せを見出すかはその人の中に…

だけどそれは、たった一本のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね。
出典:サン・テグジュペリ 小説『星の王子さま』(河野万里子 訳)

飲み屋の店長に言われた事

君は
学歴もまあまあ有って
誠実そうに見えて
話し方も柔らかいんだけど…

深く話すとそんな感じなのが(多分、ちょっと話がマニアックに深めすぎ…という事かな?)
ダメなんだよ(マイナスのギャップが良くないんだよ…という事かな?)
と言われた

…まあね…

言葉の力を信じたい

日々のしんどさにかまけて
言葉の大切さを忘れていた
僕は国語が苦手で
だけれども言葉の大切さは
認識しているつもりだった
しかし
色々と忙しさが増す中で
おざなりになってしまっていた
先日、菊池省三先生という
小学校の先生をされていて
問題の多い小学校
学級崩壊したような学級を
次々と立て直していった先生の
講演を聞きに行った
小学生が我々よりもはるかに上手に
言葉を使いこなしている姿を見て
菊池先生が小学生を
圧倒的に信頼している姿を見て
言葉の力を再度信じてみようと思った
言葉は力を持っている
それは、自分が宮沢賢治から感じたことじゃないか!
再度、信じて、前に進もう

どうでもいい話

好きなんです

付き合いたいとか、結婚したいとかじゃななくても、
好きな人はいる。
でも、結局、それらの種類の違いはないと思う。
感情は量しかなくて、種類なんてのはない。
好きとか、嫌いとか、種類というのは本当はない。
マザーテレサは、「好きの反対は、嫌悪ではなくて、無関心だ」とかなんとか言った。
好きも嫌いも、感情の量的には多い、無関心という事はゼロだ。
嫌いという事は、気になっていることには間違いない。
吊り橋効果ってのがある。
吊り橋の上で、男女で、ドキドキしながら渡ると、そのドキドキが、
好きのドキドキと勘違いして、好きになってしまうという…
吊り橋で高いところが怖くて、ドキドキして、感情の量が高まったところで、
それがそっくりそのまま、隣の人への好きという感情に置き換わってしまうという事。
感情を誘導する方法はたくさんあるらしい。
そういうことを知っていて、悪用してはいけないと思う。
いかん、でも、もてたいと思う気持ちと、矛盾している。
もてたいのか、自分の好きな人に好かれたいのか、ありのままの自分を好きになって欲しいのか…
ちゃんと選べ!

酔っ払っている自分が

好き
その時は
後でその時のことを思い出して嫌になる

ベトナムに行ったのが

もう過去の話
早く次の海外へ

テラスハウスを見る

テラスハウスというドラマ及びドキュメンタリーは、
どう背伸びしても、僕が見ないもの…社会勉強として、頑張って見ました
男女、3対3で、知らない者同士が同じ建物に住むというドキュメンタリー
恋愛や下心が丸見えで、そこに面白さを感じるべきなんだろう
正直…めっちゃ面白い!
こんなクソみたいなやつが存在するんだいろんな人がいるんだな…と本気で思った
男女関係ってこんなにドロドロしてるんだ…みたいな

世界は

俺の頭の中
俺が思えば
世界は変わる
まあ、とりあえず、物理法則は変えないでおくわ!

マトリクスっていう映画で、
脳が直接サイバー空間へつながる世界観が示されている。
それとは別にアフォーダンスという考え方があって、
ざっくりと言ってしまうと、
物質自体が情報を発しているという考え方で、
例えば、ドアのノブは、つかんで回せ!と言っている、
また、ボタンは、それ自体が押せ!という情報を発している…というようなイメージ。
つまりマトリックスの世界観と、アフォーダンスでは、考え方がちょうど逆と言える。
情報世界の中に、物理的な感覚や法則がのっているというマトリックス世界と、
物理空間から、情報が発せられているという考え方と…
SF的なものが好きな僕としては、遊びとして、マトリックス的な世界観で考えることがある。

ロードバイク

買った!
というか注文した。
9月上旬到着予定
やったー
好き!

列車の中

表裏

何かを得るために、何かを失う
という言葉は真理に見えて、そうであるときと、ない時がある。
そうであるときというのは、その事象が、実際は裏表の関係になっているから。
でも、そう見えても、そうでないものもあるから注意が必要です。
日本における、金持ち=悪人、貧乏=善人、的な考えもそう。
耳障りの良い言葉に騙されてはいけない
言葉は単なる言葉であり、論理は騙し絵のように、論理のように見えて詭弁である事が往々にしてある。

水と気圏の境

川が流れている
川というのは水の流れであり
その透明さ…
空気との境界の光が乱反射し
水晶の欠片のキラメキ以上
見ていると心が綺麗に透けて
透明になってゆく

列車

風景が流れる
暗闇に光が流れる
光の熱さを感じる
体にかかる重力gが
加速度aによって斜め下方向への力となる事を感じる
永遠のような時間が
やがて目的地へと到達し有限である事を感じる

ベトナム

明日から行くので、今日はそのアプローチで関空
今治から関空までは、車にしろ、電車にしろ、遠い……遠い。

何かを得るために、何かを失う…

それだけの覚悟を見せろということだろう!
それは、間違いなく必要な時もある。

言語表現における優先順位

僕がとめどなく文章を書くときに
一番大切にすることは
厳密に言語の意味を精査したり
語用論について考えることではなく
文章が僕が好きなリズムに沿って書かれているか
僕の中の感覚とオノマトペが近いかどうか
綺麗だと思ったものが綺麗な表現になっているか
イヤなものがエッ!?という表現になっているか
思わせぶりで少し衒学的か…このタイトルみたいにね!

夢とアブダクション

夢の話とアブダクション

昔、何度も見た夢がある。
自分が起きた時、暗闇の中にいる。
もがいてももがいても、閉じ込められて動けない。
息苦しく、閉ざされた暗所が怖い。
ああもうだめかなと思った時、外に出る。
でもそこは、住み慣れたところではない。
日本語も通じない。
お金もない。
僕にはわかる。
ここにはさらわれて連れてこられた。
何度も必死に日本に帰ろうとするが、
帰らせてくれない。
何度も逃げようとするが、国境を出ることはできない。
言葉に言い表せないほどの恐怖。

北朝鮮へ拉致され無理やり連れて行かれた方のことをよく考える。
その恐怖は当人しかわからないだろうし、
親にしか、拉致によって子供とは慣れた気持ちは分からない。

なんで、全員連れ帰ることができないんだろう。
やれることは全てやるべきでは…

僕は、日本は、戦争や侵略は絶対すべきでないと思うし、
憲法にはその事は書くべきだと思う。
でも、憲法が、拉致被害者を取り返すことの妨げになるんだったら、
変えるべきだと思う。
無理やり連れて行かれた国民を取り返せない憲法なんて、絶対変えるべきだ。